2010年4月21日

ユウェナリスのことば(後半)

「健全な精神は健全な肉体に宿る」をぐぐってみると、「これは誤訳である」という趣旨のヒットが多数上位に来る。ウィキペディアのユウェナリスの項にもその旨が書かれている。

さて、このことわざ(?)がもともとはどこからきたかというと、古代ローマ時代の詩人ユウェナリスという人の書いた『風刺詩集』(10番目の詩の366段)なのだそうだ。
ユウェナリスという人は、本名をデキムス・ユニウス・ユウェナリス(Decimus Junius Juvenalis, 60−130)といい(英語では通常Juvenalとして知られている)古代ローマ時代の風刺詩人であり弁護士だそうだ。当時、市民が政治に関心を持つとろくなことがないと考えたローマの権力者によって食料を与えられ、娯楽を求めて堕落したローマ市民とその社会を揶揄して 'panem et circenses' (「パンとサーカス」)と表現した人である。

「健全な精神は健全な肉体に宿る」に該当する詩の部分はラテン語で、
Orandum est ut sit mens sana in corpore sano.
であり、
それを英語訳したものは、上のリンクによれば
It is to be prayed that the mind be sound in a sound body.
である。
これをそのまま訳すと、「健やかな身体のうちに精神が健やかであることが願われるべきである。」となる。

ところで、「あのことわざは誤訳である」としているウェブサイトの多くが「ユウェナリスは、堕落したローマ市民の姿を嘆いて『肉体ばかり鍛えてもだめで、健全な肉体には健全な精神も必要なのだ』という意味で言ったのに、日本では正反対の意味にとらえられてきた」といっている(参考URL玉木正之氏ウェブTuyano Blog)のだが、これらの解釈は腑に落ちない。
というのは、『風刺詩集』第十章の一部を読んだだけでも「健全な精神は健全な肉体に宿る」という文句を「健全な肉体を得れば健全な精神が手に入る(だから頑張って体を鍛えよう)」と因果性によって解釈すること自体が論理の飛躍であることは明らかであり、その解釈の反証として誤訳を指摘しても、もとの詩の訳の誤りを正したことにはならないからである。

私はラテン語ができないので、風刺詩集第十章の英語の訳詩を読んで、なるほど、これは「体を鍛えることが心を鍛えることにつながる」というスポ根とはなんの関係もなかった(ひとつスッキリ)、ということは確信できたわけだが、このことわざのそれ以上の解釈はここで打ち止めであった。
しかし、ここで助けになったのが、花房友一という方のホームページの「「健全な精神は健全な肉体に宿る」とは言わなかったユウェナリス」の項。西洋の古典の研究者のウェブサイトで、他の項も大変に面白い。この花房氏が原書を参照し、ユウェナリス第10歌を日本語訳したものは、このことわざの部分に至るまでの文脈がよくわかってとても参考になった。

花房氏は、『風刺詩集』の第十章を訳した上で、この文句について丁寧に検証している。
Orandum est ut sit mens sana in corpore sano. 
を、原文のラテン語を英語に、語順もそのままに直訳すると、
You ought to pray that be a mind healthy in a body healthy.
となるのだそうだ。すると、「宿る」と訳されているのは、単に「~となる」という意味であることが明らかになるという。また、「前後の文脈から考えて、精神と肉体は対照的に取り上げられてはいない」ということは、この日本語訳とほかの英語訳を検索していくつか読んでみてなるほどと思った。
先ほどの氏の項では、ここからが特に興味深かったので少し引用させていただこう。

ラテン語の原文が韻律に制約される詩であることを考え合わせると、原文の単語の in には、精神の健康と身体の健康に何らかの関係があると言っているのではなく、作者が言いたかったことは単に、
You ought to pray that both mind and body be healthy
であり、この格言の真の意味は「心身ともに健康であることを祈るべきである」であるとみるのが適当であることが理解できるのではないか。

うーん、奥が深い。
でも、この詩集が「風刺」であるという性質を考えると、

「『心身ともに健康であること』。願うならこの程度にしておきなさい。これなら誰でも自分の力で達成できるし、それが手に入ったことによって不幸になることもない。しかし、けっしてそれ以上の大きな願いを抱いてはいけない。」(同氏の同じページより)

というのではちょっと優しすぎるような気もするが、どうなのだろう。

最後に、このことわざをいくつか調べても一つもみあたらなかった「健康」ないし「健全」の中身だが、ユウェナリスはその詩の続きで、

「それは死の恐怖からの自由、怒りからの自由、欲望からの自由のことである。」(同上)

と説明しているのだそうだ。スポーツは関係ないどころか、体の具合の善し悪し、人の性質の善し悪しのことですらないのであった。

ところで、「健全な精神は健全な肉体に宿る」という日本のことわざのもとになった英語は、
'A sound mind in a sound body'
だそうである。でも、これは、どうやら、ジョン・ロックがユウェナリスの詩をふまえて述べた言葉であることを付け足しておこう。

"A sound mind in a sound body, is a short, but full description of a happy state in this World: he that has these two, has little more to wish for; and he that wants either of them, will be little the better for anything else. "
-- John Locke (Some Thoughts Concerning Education, 1963, sec.1 による) 

最初の一文は、「健やかなる心は健やかな身体にある、とは、短いけれどもこの世の幸福をいいあらわすのに十分な説明である」という意味になる。(訳はspinovによる)

というわけで、「健全な精神は健全な肉体に宿る」という句は、誤訳というより、原典を無視して英語の相当部分だけ訳し、その解釈が一人歩きしたというのが事実であるようだ。

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