2010年12月29日

積もりつもる


最近はとても寒くてあまり外に出ていないせいもあるかもしれないけど、(もともとあほな)頭が(よりいっそう)へんになってきた。 

椅子に座っている時間が長いせいか、朝起きると、机に向かった姿勢をそのまま横に倒したような格好で寝ているのに気がつく。試験が近いので緊張しているのだろうか。 

あと、えんぴつでりんごを食べようとした時は、もうだめだと真剣に思った。

ともあれ。 



 
今年は試練の年であった。 

心身がおかしくなり、辛くてひきこもっていた分、自分の問題点と向き合い、改善・克服につとめることに集中した一年であった。 

自分で決めたこととはいえ、この年でこんなことが許されたのは、母のおかげだと思う。 
4月から、母は毎回病院の送り迎えをしてくれた。診察よりも待つ時間のほうがずっと長いのに、いつも終わるまで待っていてくれた。家からA病院まで車で1時間くらいかかるし、夕方には自分の仕事もあるのに。車の中ではいろいろな話をした。それから、私が今まで抱えていたけど言えないでいた問題を話した時には、普段医学関係の本など読まないのに、本を買って読んでくれた。内容については私とはずいぶん理解が違ったし、本はむしろ自分の仕事に役に立ったと言っていたけど、一緒に考えてくれたことがありがたかった。また母は、最初は私が薬を飲むことをかなり嫌がり、副作用を私以上に気にして、薬は捨てて!と言っていたのだけど、秋頃になって、最近どうも寝付きが悪いから自分も○○(←私)の寝る薬飲んでみると言い出した。びっくりしたが、少し置いてきた。 
その後、朝電話をしてきて、「あー よく寝た。寝坊しちゃった。あれは効くわー!」と明るく笑ってくれたお母さん。 
電話を切ったあと、しばらく涙が止まらなかった。日本に帰って来たときあんなに喜んでくれたのに、その後心配ばかりかけてしまった。 

到底理解しがたい事情を、私の気持ちを考えて、私を信用して見守ってくれた家族と祖父母、また、話を聞いてくれた友人、病院の先生、何があったともお話ししていないのにもかかわらず心優しいお気遣いをくださった友人には、いてくれてありがとう、という思いでいっぱいです。それから、せっかく帰ってきたから遊ぼうよと声をかけてくれた長年の友人たちには無沙汰ばかりになってしまって、本当に申し訳ないです。日本に帰ったら会いたい人いっぱいいたし、やりたいこといっぱいあったのに、ほとんど実現できなくて、悔しいし悲しいし自分が情けないけど、今年は、こういうふうにしかできなかった。 


元気になったことを、ご報告したいと思う。 
ありがとうございました。 



数年ぶりの日本のお正月です。 
かるたや百人一首で遊んでいるひまはないけど、お雑煮が楽しみ。 




よいお年をお迎えください。 



2010年12月15日

流星群

双子座の流星群を見てきた。ニュースでは14日の午後8時くらいに流星活動のピークがくるというということだったが、8時では南の空に明るい上弦の月が出ていて明るすぎたので、少し待つことにした。といっても15日未明まで待てばよかったのだと思うが、楽しみにしていたので、うずうずして待ちきれずに、10時半くらいに自転車で山のほうへ向かって出かけてしまった。川沿いの歩道に自転車を止め、川岸に降りていってしばらく空を眺めていたのだが、辺りも月もかなり明るく、空が白っぽく見えた。やはりちょっと早すぎた。

こんなところで星を見ている人など誰もいないので、コンクリートのベンチに仰向けになって星を眺めてきた。雲の流れが速く、星座がどんどん南へ動いていくように見える。流れ星は強い光を帯びた大きいのも、青白く細く優雅なのも見えた。大きく弧を描いてオリオン座を横切っていったのもあった。
しばらくたって近くの運動場の明かりが消え、それからまたしばらくして月が雲に隠れて空が黒くなった。仰向けになって見ている真上の空が最も暗く、目を下に向けると徐々に明るくなってきて、川べりの木々は切り絵のようだ。自分が半球の底に寝ているような感じがする。
いろいろなことを思い出したり願ったり考えたりしながら空を見ていたが、願い事を唱える暇などあるはずもなく、あ、と思ったらもう流れ星は消えていて、見えたことだけがあとから確認される。流星は、願って現れるはずもないし、双子座の方角とは全然違う西側に飛んでいたりもした。そんなことはわかっているつもりでも、大きいのが見えると、もっと長くて大きいの見えないかなあと思ってしまう。流れ星が飛んでいてもいなくても圧倒的に超然としている星空を眺めているというのに、私ときたらまったく欲深いことだ。

じっとしているのだけは得意だから何時間でも見ていたかったのだけど、道路を挟んで谷のようになっている川からの風がなかなか強くてしかも冷たく、気温もどんどん下がってきて、1時間半くらいで震えがきてしまったので帰ってきた。もうちょっと見ていたかったな。

思った通りにはいかないね、という当たり前のことを感じてなんだか可笑しくなってしまった。

2010年12月9日

常に身近に在るが「日常」ではない、でも「現実」である音楽

Jeno JandoというピアニストがNAXOSから出している、シューベルトのアムプロムプチュをよく聴いている。この人の、内向的で、一人だけの輝く世界に限りない安寧を見いだしているような演奏(でも達観しているようなところもある)は、私が作曲家シューベルトの人物像として抱いている印象と重なるということもあって、いつ聴いても心が安らぐ。淡々として無駄な飾り気や重厚さがまったくなく、それでいて音楽はあくまでも人間の所作であることをしみじみと感じる、ものすごく好みの演奏である。特にOp. 90の第1番と第3番が良い。

演奏家の熱い思いを大げさな動作や重厚さとして醸し出した音楽は嫌いというのは、まあ私個人の好みの問題かもしれないが、「音楽はあくまでも人間の所作であることをしみじみと感じる」音楽については、この間から少し深く考えている。

少し前のことになるが、ある人が弾いたバッハのチェロ無伴奏組曲第2番を聴いた。私はそれまで、無伴奏はバッハの楽曲のなかでも情緒的で、他のオルガン曲等とは毛色の違う楽曲なのかと思っていたが、それは随分な偏見だったようだ。今まで聴いてきた無伴奏が、バッハの音楽からは離れた情緒的解釈を主体にした演奏だったためかもしれない。というのは、無伴奏のしくみやからくりを丁寧に解きほぐし、そこに自分の解釈を加えたものを見せてもらった時に、チェロの後ろでオルガンが鳴っているような音の層と、動く歩道に身体が引っ張られるかのような抗いがたい牽引力を体感したのだった。そして、無伴奏はバッハの例外作などではなく、パルティータやインヴェンションなどのクラヴィーア曲や他のミサ曲とも繋がる構造やからくりを持っていることが「現実として」感じられたのだった。それが具体的に何なのかはそのうち自分で調べなくてはいけないのだが、ともあれ、とても面白い体験だった。

先の体験の何が面白かったのかについて考えながら、手元にあるフルトヴェングラーの『音と言葉』を読み返していたのだが、ロマン派についての記述の中に、そのこたえの一つかもしれないと思う箇所があった。
それはこの章の冒頭の、

『完成された芸術作品が偉大であるというのは、それは情感されたもの、思索し、直観し、意欲されたものに形体を与えるからです。ここで形体と言うのは、その作品自体の中に静止している現実を指していっているのです。』(フルトヴェングラー『音と言葉』新潮文庫、98ページ)

という部分である。これは、(別にロマン派の音楽に限らず)完成された芸術作品を演奏という形でリプレゼンテーションする演奏家についてもいえることなのではないかと思う。思うに、私が面白く感じるのは、シューベルトのアムプロムプチュも、バッハの無伴奏も、演奏家の思惑通りというよりは、作曲家寄りの解釈の中にある「静止した現実」を演奏家という別の人間を通してみることにわくわくしたからではないか。演奏している人がどう感じているのかわからないが、他の人間の作品を別の人間がここまで理解して自分の言葉で再現できるというのは不思議だ。以前、こちらの日記で「音楽の向こうにある世界」について書いた時とは別のかたちで、芸術って、人間ってすごいなあと感動したのであった。

バッハの無伴奏では、作曲者と同じように、演奏者も調べたこと、考えたこと、感じたこと、そして感情も含めた現実に、形体を与える力が必要なんだなあということを、聴き手であるこちらも現実のものとして感じた。
ちょっとまとまりがなくなってしまったが、貴重な体験だったので、考えたことをこのウェブ日記にも載せることにした。






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フルトヴェングラーのロマン派についての記述の中には、また別の興味深い部分がある。

フルトヴェングラーは、「ロマン主義」とは、現実を直視することなしに夢と錯覚(思いこみといったほうが正確だと思うが)の世界を現実と思おうとする精神的態度であり、それは拒否すべきものであるとしている。しかし、実はこの意味でのロマン主義は、一般にロマン派と呼ばれる人々にはむしろあまり見られない傾向なのだという。ロマン派と呼ばれる人々の真の芸術作品には、実のところ、人々が「ロマン派」と呼びフルトヴェングラーからすれば「逃げ」である、こういう姿勢はない。なぜなら、ある作品が真の芸術作品である以上、ロマン主義一辺倒であるわけがない(それでは形体を与えるべきものの要求を満たすことなどできようがない)し、同時にそれは、偉大な芸術作品である以上、ロマン主義から逸脱するものでもない(芸術とは、『生命の象徴としてのみその意味と価値を持つ』ものであるから)のだから。

『現実から逃亡しようというこの種の傾向は、いわゆるロマン派と呼ばれている人々においてみられることははるかに少なく、むしろ彼らの敵手であり、およそロマン派と名のつくものでありさえすれば、目の敵にしてこれを引き下げることに飽くことを知らぬという人々の側にこそ多く見出されます。すなわち、この技術化された時代の一つの出来事の一片が、「機動的なるもの」が、生命の全体であると思っている人々、およそまた愛情、人間的温かみ、充溢、官能、限りない躍動、と呼ばれるもの一切に対立して自己を閉ざし、それらを悪辣な仇敵であるかのように怖れる人々こそ、ーーー今日は真の意味においてロマン派と呼ばれるべきなのです。(中略)非創造的な、知性的錯覚の世界の中へ逃亡する人々こそ、ロマン派なのです。』(同、101ページ)

これは鋭く重要な指摘であると思う。ロマン主義の音楽は現実的な葛藤を抱えているのだ。「およそロマン派と名のつくものでありさえすれば、目の敵にしてこれを引き下げることに飽くことを知らぬという人々」と並んで、「シューマンはロマン派だから」といって、その楽曲のなかの現実を捉えようとすることなく、ただただ情熱と愛をこめて歌い上げようとする演奏家もまた、フルトヴェングラーには痛烈に批判されそうである。