2012年2月3日

最高気温マイナス三度


ベストを編み終えた。上の写真は裏側。下のしましまが表側。 
参考にした編み図よりも身頃を小さくしたのだが、小さくしすぎてしまって、私にはサイズが合わない。ほどいて編み直すほうがいいんだろうけど、いままさに出来立てほやほやなので、もうしばらくは手に取ってにやにやしたり、無理矢理着たりしたい。出来上がりを見ながら工程の見直しをするのも大事。やり直しを考えるのはもうちょっと先にしよう…。  

これはほとんどがメリヤス編みなので、高度な技術を要する点は全然ないのだが、編み地をきっちり揃えるのに腐心した。 







 
ところで、完成させるにあたっては、橋本治氏の『男の編み物(ニット)/手トリ足トリ』という本がかなり役に立った。 
「この本は、セーターなんか編んだことのない男性にセーターの編み方を教える本です。」という書き出しで始まるこの本には、最初の宣言通り、セーター作りに必要な全てが載っている。実は、よくある女性向けの「初めてのかんたんセーター」というような本というのは、書かれていない重要事項がかなりあるのだけど、この『男の編み物』には、「わかってあたりまえ」という感じですっとばされている部分がない。毛糸の選び方、編み針の種類、毛糸屋さんに行く時の注意… そんなところから始まって、基本の編み方(図もひとつひとつ手描き)、はぎ合わせ方、超弩級の編み込みセーター(東州斎写楽の絵や桂昌院打掛の写し等の模様が最も細い1号針で全面に編み込まれた作品等。普通の精神力では到底不可能である)の作り方まで、一つ一つの説明が橋本治氏独特の理屈だらけの文でこまかーーく書かれている。ちょっとくどいけれど、非常にわかりやすい。だからこそ、「ここまで書いてるんだから、わからないからできませんなんて言い訳はさせないよ。とにかく完成させなよ。」という厳しいメッセージが伝わってくるわけだけど。それから、男性の文筆家が編み物の本を書く、という企画そのものも面白いが、セーターの作り方の他にも、男の人がセーターを編むことの意義についても熱く語っていたりして、読み物としても奥が深い。 
それにしても、最近は編み物をする男性も増えているようだが、橋本治氏がこの本を出した1983年当時は、ものすごく奇異な目で見られたことだろうと思う。勇気ある立派なオタクの方だ。 
ついでに書いておくと、『わからないという方法』(集英社新書)という本も面白かった。私はこの人の書くものは、誠実な人柄があらわれているように思われるから結構好きなのである。 

というわけで、書き出しの分の条件には私にはあてはまらないが、(セーターは編んだことがあるし、私の性別は女である)「かゆいところに手が届く」とはまさにこのこと、襟の目の拾い方やとじはぎなど、常に傍らに置いて参照し、サイズは少々おかしいけど、着られる形にできたのである。 


 
棒針編みはそこそこ長くやっているが、裏編みに自信がなかった。表編みの倍も時間がかかっていたし、なかなか納得のいく美しい編み地にならない。でも一応面にはなるし、と、気にはなりながらも独自のやり方のままにしてたのである。しかし今回、このベストの前身頃を作る時には、前述の本や編み物のビデオを見て基本の編み方を習い直してみた(後ろはだいぶ前に出来ていた)。これ以上無理というレベルで集中して真剣にやってみたら、自分でもびっくり、すぐに矯正できた。チェロでは癖を直すのにかなり苦戦しているので、本当におどろいた。魔法みたいだ。正しいフォームで編むとさくさく進むし、編み目も揃う。後ろ身頃よりも前身頃のほうがずっときれいに仕上がった。嬉しかった。

2012年1月5日

いとなみ

昨年は新たに、かぎ針編み、クロスステッチ、パッチワークに挑戦して、小さいものではあるが十数点を仕上げることができた。棒針編みではセーターを編んでいるが、こちらは未完成。

どれも本や動画を参照しながら見よう見まねでやってみたので、やり方がおかしいところもあるのだろう、×の数が図案と違ったり、編み目の数がわからなくなったり、ファスナーを上下逆につけていたことに出来上がるまで気がつかなかったりと、それぞれの作品に一つ以上はがっくりするミスがあった。それでも、作品として出来上がるとやはり嬉しい。工夫すべき点や今後の課題もはっきりする。そして、下手なりに一個一個完成させていくうちに、学び上達するものである。

刺繍を通して世界について考えるという体験も新鮮であった。刺繍には各国の伝統柄というのが必ずあるが、それぞれの図柄は、その国の人々にとって非常に身近なものを題材にしている。たとえばトナカイやノウサギをモチーフにした北欧のクロスステッチ、スイセンやアイリスの花を丁寧に再現したイギリスの刺繍など。
各国の刺繍図案を眺めたりモチーフについて調べたりしながら考えた:日常生活の中でなじみや愛着のあるもの・美しいと感じられるものを、刺繍でもって日々使うものの中に再現することは、それが存在する幸せや喜びを確かめるための人間の知恵なのだろうか。針を布地に通しながら、地道な作業に人を駆り立てるのは、綺麗なものの姿を手元に残しておきたいという焦燥感と欲望だろうかと思ってみたりもした。「欲」という言葉のイメージは刺繍の世界の可憐さにそぐわないようにも思えるけれど、肩は凝るし目も痛くなる作業が大好きという理由で人は古来から刺繍をしてきたのではないだろう。

刺繍も編み物も針仕事もひとりでする手作業なのだが、手を動かしているとどういうわけか「人のいとなみ」というようなことについて考えてしまう、そうすると孤独な作業ではなくなるのであった。


ところで、今年はまたチェロをやる。
ずっと、チェロが弾きたくてたまらなかった。
以前の日記に、編み目を揃える練習はチェロの練習に通じるところがあると書いたが、今年は手芸から学んだことをチェロの練習にも活かして、新しい方向性を探っていこうと思う。
細かい課題は色々あるが、大まかには、作品の大小に関わらずとにかく仕上げること、その完成を積み重ねることで次に進んでいくことを今年の目標としたい。

勉強と絵にもそれぞれ今年の課題を設けた。
時々、何を信じて生きていったらいいかわからなくなり、すごく混乱したり動揺したりしてしまう。自分の中に諦めと殺伐とした思いがあり、心に嵐が吹き荒れることがある。世の中も非常に不安定で、人々は寄って立つものを失くしてしまったように感じられる。でも理不尽なものに潰されるのは悔しい。自分自身には頼れるように、いろいろやってみよう。