2010年4月7日

Der Mensch ist, was er ißt.

いま使っているドイツ語のテキストブックに出てきた、Feuerbach(1804−1872)の言。訳は、「人はその食らうところのものなり」。フォイエルバッハが、自然科学的唯物論の立場を皮肉とユーモアを込めて言いあらわした言で、『関口・新ドイツ語の基礎』(p.56)によれば、ist(英語のbe動詞に相当する、seinの三人称単数形)とißt(「食べる」の意のessenの三人称単数形)とが同音であるのを利用した洒落であるとのこと。
世界の森羅万象をどう理解するかについては様々な立場があるが、フォイエルバッハのとった唯物論というのは、かんたんにいえば、「物事の本質や仕組みは物理現象である。我々の感情や意識というのは、単に脳の細胞と細胞の間に起こる電気的現象のようなものに過ぎない。」という考え方である。その立場からみれば、人間は物質そのものであるということになる。

私はフォイエルバッハに明るくないが、ここのところ人間の心のありようについて思い巡らす中で、唯物論には「救い」があるだろうかと考えたことがあった。彼の師であるヘーゲルの哲学には確かに救いは、ある。フォイエルバッハはヘーゲルから出発するものののちにヘーゲル批判に転ずるのであるが、彼の論理の出発点およびその宗教観をとらえ、唯物論とは本質的になにを説明しようとしたのかを知るには、ヘーゲルを読み直す必要がありそうだ。

今度、ヘーゲルについて少し書こう。

0 件のコメント:

コメントを投稿