2010年12月29日

積もりつもる


最近はとても寒くてあまり外に出ていないせいもあるかもしれないけど、(もともとあほな)頭が(よりいっそう)へんになってきた。 

椅子に座っている時間が長いせいか、朝起きると、机に向かった姿勢をそのまま横に倒したような格好で寝ているのに気がつく。試験が近いので緊張しているのだろうか。 

あと、えんぴつでりんごを食べようとした時は、もうだめだと真剣に思った。

ともあれ。 



 
今年は試練の年であった。 

心身がおかしくなり、辛くてひきこもっていた分、自分の問題点と向き合い、改善・克服につとめることに集中した一年であった。 

自分で決めたこととはいえ、この年でこんなことが許されたのは、母のおかげだと思う。 
4月から、母は毎回病院の送り迎えをしてくれた。診察よりも待つ時間のほうがずっと長いのに、いつも終わるまで待っていてくれた。家からA病院まで車で1時間くらいかかるし、夕方には自分の仕事もあるのに。車の中ではいろいろな話をした。それから、私が今まで抱えていたけど言えないでいた問題を話した時には、普段医学関係の本など読まないのに、本を買って読んでくれた。内容については私とはずいぶん理解が違ったし、本はむしろ自分の仕事に役に立ったと言っていたけど、一緒に考えてくれたことがありがたかった。また母は、最初は私が薬を飲むことをかなり嫌がり、副作用を私以上に気にして、薬は捨てて!と言っていたのだけど、秋頃になって、最近どうも寝付きが悪いから自分も○○(←私)の寝る薬飲んでみると言い出した。びっくりしたが、少し置いてきた。 
その後、朝電話をしてきて、「あー よく寝た。寝坊しちゃった。あれは効くわー!」と明るく笑ってくれたお母さん。 
電話を切ったあと、しばらく涙が止まらなかった。日本に帰って来たときあんなに喜んでくれたのに、その後心配ばかりかけてしまった。 

到底理解しがたい事情を、私の気持ちを考えて、私を信用して見守ってくれた家族と祖父母、また、話を聞いてくれた友人、病院の先生、何があったともお話ししていないのにもかかわらず心優しいお気遣いをくださった友人には、いてくれてありがとう、という思いでいっぱいです。それから、せっかく帰ってきたから遊ぼうよと声をかけてくれた長年の友人たちには無沙汰ばかりになってしまって、本当に申し訳ないです。日本に帰ったら会いたい人いっぱいいたし、やりたいこといっぱいあったのに、ほとんど実現できなくて、悔しいし悲しいし自分が情けないけど、今年は、こういうふうにしかできなかった。 


元気になったことを、ご報告したいと思う。 
ありがとうございました。 



数年ぶりの日本のお正月です。 
かるたや百人一首で遊んでいるひまはないけど、お雑煮が楽しみ。 




よいお年をお迎えください。 



2010年12月15日

流星群

双子座の流星群を見てきた。ニュースでは14日の午後8時くらいに流星活動のピークがくるというということだったが、8時では南の空に明るい上弦の月が出ていて明るすぎたので、少し待つことにした。といっても15日未明まで待てばよかったのだと思うが、楽しみにしていたので、うずうずして待ちきれずに、10時半くらいに自転車で山のほうへ向かって出かけてしまった。川沿いの歩道に自転車を止め、川岸に降りていってしばらく空を眺めていたのだが、辺りも月もかなり明るく、空が白っぽく見えた。やはりちょっと早すぎた。

こんなところで星を見ている人など誰もいないので、コンクリートのベンチに仰向けになって星を眺めてきた。雲の流れが速く、星座がどんどん南へ動いていくように見える。流れ星は強い光を帯びた大きいのも、青白く細く優雅なのも見えた。大きく弧を描いてオリオン座を横切っていったのもあった。
しばらくたって近くの運動場の明かりが消え、それからまたしばらくして月が雲に隠れて空が黒くなった。仰向けになって見ている真上の空が最も暗く、目を下に向けると徐々に明るくなってきて、川べりの木々は切り絵のようだ。自分が半球の底に寝ているような感じがする。
いろいろなことを思い出したり願ったり考えたりしながら空を見ていたが、願い事を唱える暇などあるはずもなく、あ、と思ったらもう流れ星は消えていて、見えたことだけがあとから確認される。流星は、願って現れるはずもないし、双子座の方角とは全然違う西側に飛んでいたりもした。そんなことはわかっているつもりでも、大きいのが見えると、もっと長くて大きいの見えないかなあと思ってしまう。流れ星が飛んでいてもいなくても圧倒的に超然としている星空を眺めているというのに、私ときたらまったく欲深いことだ。

じっとしているのだけは得意だから何時間でも見ていたかったのだけど、道路を挟んで谷のようになっている川からの風がなかなか強くてしかも冷たく、気温もどんどん下がってきて、1時間半くらいで震えがきてしまったので帰ってきた。もうちょっと見ていたかったな。

思った通りにはいかないね、という当たり前のことを感じてなんだか可笑しくなってしまった。

2010年12月9日

常に身近に在るが「日常」ではない、でも「現実」である音楽

Jeno JandoというピアニストがNAXOSから出している、シューベルトのアムプロムプチュをよく聴いている。この人の、内向的で、一人だけの輝く世界に限りない安寧を見いだしているような演奏(でも達観しているようなところもある)は、私が作曲家シューベルトの人物像として抱いている印象と重なるということもあって、いつ聴いても心が安らぐ。淡々として無駄な飾り気や重厚さがまったくなく、それでいて音楽はあくまでも人間の所作であることをしみじみと感じる、ものすごく好みの演奏である。特にOp. 90の第1番と第3番が良い。

演奏家の熱い思いを大げさな動作や重厚さとして醸し出した音楽は嫌いというのは、まあ私個人の好みの問題かもしれないが、「音楽はあくまでも人間の所作であることをしみじみと感じる」音楽については、この間から少し深く考えている。

少し前のことになるが、ある人が弾いたバッハのチェロ無伴奏組曲第2番を聴いた。私はそれまで、無伴奏はバッハの楽曲のなかでも情緒的で、他のオルガン曲等とは毛色の違う楽曲なのかと思っていたが、それは随分な偏見だったようだ。今まで聴いてきた無伴奏が、バッハの音楽からは離れた情緒的解釈を主体にした演奏だったためかもしれない。というのは、無伴奏のしくみやからくりを丁寧に解きほぐし、そこに自分の解釈を加えたものを見せてもらった時に、チェロの後ろでオルガンが鳴っているような音の層と、動く歩道に身体が引っ張られるかのような抗いがたい牽引力を体感したのだった。そして、無伴奏はバッハの例外作などではなく、パルティータやインヴェンションなどのクラヴィーア曲や他のミサ曲とも繋がる構造やからくりを持っていることが「現実として」感じられたのだった。それが具体的に何なのかはそのうち自分で調べなくてはいけないのだが、ともあれ、とても面白い体験だった。

先の体験の何が面白かったのかについて考えながら、手元にあるフルトヴェングラーの『音と言葉』を読み返していたのだが、ロマン派についての記述の中に、そのこたえの一つかもしれないと思う箇所があった。
それはこの章の冒頭の、

『完成された芸術作品が偉大であるというのは、それは情感されたもの、思索し、直観し、意欲されたものに形体を与えるからです。ここで形体と言うのは、その作品自体の中に静止している現実を指していっているのです。』(フルトヴェングラー『音と言葉』新潮文庫、98ページ)

という部分である。これは、(別にロマン派の音楽に限らず)完成された芸術作品を演奏という形でリプレゼンテーションする演奏家についてもいえることなのではないかと思う。思うに、私が面白く感じるのは、シューベルトのアムプロムプチュも、バッハの無伴奏も、演奏家の思惑通りというよりは、作曲家寄りの解釈の中にある「静止した現実」を演奏家という別の人間を通してみることにわくわくしたからではないか。演奏している人がどう感じているのかわからないが、他の人間の作品を別の人間がここまで理解して自分の言葉で再現できるというのは不思議だ。以前、こちらの日記で「音楽の向こうにある世界」について書いた時とは別のかたちで、芸術って、人間ってすごいなあと感動したのであった。

バッハの無伴奏では、作曲者と同じように、演奏者も調べたこと、考えたこと、感じたこと、そして感情も含めた現実に、形体を与える力が必要なんだなあということを、聴き手であるこちらも現実のものとして感じた。
ちょっとまとまりがなくなってしまったが、貴重な体験だったので、考えたことをこのウェブ日記にも載せることにした。






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フルトヴェングラーのロマン派についての記述の中には、また別の興味深い部分がある。

フルトヴェングラーは、「ロマン主義」とは、現実を直視することなしに夢と錯覚(思いこみといったほうが正確だと思うが)の世界を現実と思おうとする精神的態度であり、それは拒否すべきものであるとしている。しかし、実はこの意味でのロマン主義は、一般にロマン派と呼ばれる人々にはむしろあまり見られない傾向なのだという。ロマン派と呼ばれる人々の真の芸術作品には、実のところ、人々が「ロマン派」と呼びフルトヴェングラーからすれば「逃げ」である、こういう姿勢はない。なぜなら、ある作品が真の芸術作品である以上、ロマン主義一辺倒であるわけがない(それでは形体を与えるべきものの要求を満たすことなどできようがない)し、同時にそれは、偉大な芸術作品である以上、ロマン主義から逸脱するものでもない(芸術とは、『生命の象徴としてのみその意味と価値を持つ』ものであるから)のだから。

『現実から逃亡しようというこの種の傾向は、いわゆるロマン派と呼ばれている人々においてみられることははるかに少なく、むしろ彼らの敵手であり、およそロマン派と名のつくものでありさえすれば、目の敵にしてこれを引き下げることに飽くことを知らぬという人々の側にこそ多く見出されます。すなわち、この技術化された時代の一つの出来事の一片が、「機動的なるもの」が、生命の全体であると思っている人々、およそまた愛情、人間的温かみ、充溢、官能、限りない躍動、と呼ばれるもの一切に対立して自己を閉ざし、それらを悪辣な仇敵であるかのように怖れる人々こそ、ーーー今日は真の意味においてロマン派と呼ばれるべきなのです。(中略)非創造的な、知性的錯覚の世界の中へ逃亡する人々こそ、ロマン派なのです。』(同、101ページ)

これは鋭く重要な指摘であると思う。ロマン主義の音楽は現実的な葛藤を抱えているのだ。「およそロマン派と名のつくものでありさえすれば、目の敵にしてこれを引き下げることに飽くことを知らぬという人々」と並んで、「シューマンはロマン派だから」といって、その楽曲のなかの現実を捉えようとすることなく、ただただ情熱と愛をこめて歌い上げようとする演奏家もまた、フルトヴェングラーには痛烈に批判されそうである。

2010年11月30日

原稿用紙

昨日、祖父母の家に行ってきた。
電車に乗ってふた駅目から雪が舞い出した。初雪だ。


このところ、夜には冬の星が美しい。オリオン座、おおいぬ座のシリウスなどがくっきりと見える。一昨日はプレアデス星団の星も4つ見えた。自転車をこいでいても、星が遠い天で鮮やかに輝いているのが気になって、上を見上げてしまう。冬の星がここまで澄んで見えるということは、もう雪が降ってもおかしくはないのだったろう。気がつかなかった。


祖父が、時々二階のものを整理しているようだ。何か思いついたものがあるととっておいて、私にくれる。昨日は原稿用紙を貰った。これからもたくさん物語を書くようにと言って。昔から、私が何かものを書くことに一番関心を示してくれたのは、祖父だった。いままでも外に出たものは祖母と一緒に必ず読んでくれた。いただいた原稿用紙には、13×20ます、29×22ます、26×10ますの3種類があった。20×20ますにすれば数えやすくていいのにと思うが、何か編集の都合などがあるのだろうか。13×20ますのものは黄ばんでいて、わら半紙の手触りが懐かしかった。わら半紙というと、高校の時の印刷室を思い出す。用務員さんが施錠にくるまで、副部長だったKと学校新聞を作っていた印刷室。インクで手が黒くなると洗ってもなかなか落ちないし、狭い部屋は紙とドラムカートリッジのにおいでくさかったけど、今でもすごくいい思い出だ。


祖父には、私はパソコンもあるし、何より今は物語を書けそうにないからいらない、と言おうかと思ったが、まとめて封筒に入れてくれた原稿用紙の束がやけに重く感じられて、言えなかった。おじいちゃんが何か書いたら、と言ったのだが、もう使い切れないからと言われてしまった。


貰ってきたのだから使おうと思うのだけれど、ただ途方に暮れている。

2010年10月21日

Autumn Leaves (by Charles Dickens)

この街に引っ越してきて、2週間が過ぎた。この街、といっても、街のことは何も知らない。アパートから駅までの道と、スーパーマーケットまでの道を歩いて覚えたくらいだ。スーパーマーケットへ行く途中、河を一つ越えたところに森がある。森といっても、鬱蒼と木々が茂っているのではなく、森と呼ばれる敷地を杉やケヤキの木が取り囲んだ公園である。敷地の中には、図書館や古い建物やよく手入れされた芝生があり、あずまやの隣の池には、アーチ型の木の橋がかかっている。そこには一度散歩に行った。とても天気のいい穏やかな暖かい日だった。池のまわりで鳩をたくさん見かけた。子どもたちが撒くお菓子のくずに寄ってくる鳩を見ていたら、一瞬自分がイギリスにいるような錯覚を覚えた。天気のいい日も曇りの日も、ロンドンにも、グラスゴーにもオックスフォードにも鳩がいた。日本の実家には鳩はいないし、日本でとくに鳩に関する思い出というものもない。意識したことはなかったけれど、私にとって、鳩はイギリスの記憶の一つになっていたようだ。鳩のいるイギリスの空間に一瞬引き戻されて、懐かしいとは思わなかった。現在自分がなじみのない日本のある街にいることがより強く実感されただけだ。そして、ここにいることが正しいことなのか、間違ったことなのか、今の私には判断ができない。

しばらく家を出て一人になりたいと前から思っていたので、久しぶりの一人暮らしをすることになったら、部屋の棚にはあの絵を飾ろう、あの料理をしよう、おやつにはあれを作ろう、美味しいコーヒーのお店を見つけて豆を買おう、といろいろと思い描いていたのだが、実際には、引っ越してきた日に予定通りの場所に絵を置いた以外は何もしていない。実家にいる時よりもごはんとお茶の時間が減って、勉強時間が増えた。引っ越してたった2週間なのに、ちょっと体重が減って皮膚が少しかさかさする。実家の母のごはんはやはり栄養のバランスが良いのだろう。

ところで、どこに住んでも、自分の部屋はいつも似ていると思う。大学の時に一人暮らしをしていた8畳の部屋も、何度か引っ越したイギリスの部屋も最後に住んでいた家も、そして今の部屋も、間取りやつくりは随分違うのに、どこか雰囲気が似ている。同じ人が住んでいるのだから当然なのかもしれないし、食器や衣類や、必ず持ってきている本が同じだからということもあるかもしれないけれど、多分それ以上に、10年間前も今も、自分の居場所として求めるものが変わっていないのだと思う。それは、絶対的に私の身体と精神を守り、自分の基点になる場所ということだ。「空間」(居住する空間、音楽のある空間、絵のある空間、子どものいる空間 etc...)というものを意識するようになった大学の3年以降、私は、自分が暮らす空間についても考え、こだわりと信念を持つようになった。そしてその実現のために多くの注意を払ってきた。私のこだわりと信念というのは、大概は極めて些末なことであることが多いが、部屋についてのそれは、実現されていなければ私は混乱してしまうので粗末にはできないのだった。

今は朝の6時半。あと1時間くらいしたら燃えるごみの収集車が大きな音でやってくるだろう。毎日は淡々と過ぎていく。

動画は、ディケンズの詩 ”Autumn Leaves” の朗読。
http://www.youtube.com/watch?v=5O7OcMUagYY

















*この日記にははっきりしたトピックはない。オチも終わりもない。昨日2冊問題集が終わったので、記念に何か書くことにした。うち一冊はすごく苦手な分野のものだった。ほっとした気持ち。

2010年9月20日

A summer evening (oil on canvas)





チェロの先生を描きました。

2010年9月7日

読書の記録

日本行きの飛行機に乗ってから帰国して時差ぼけていた数日間、久々に少し本を読んだ。


Hard Times ディケンズ ペンギン・クラシック
A Delius Companion  クリストファー・レッドウッド編 John Calder, London(読みかけ)
・『タルコフスキー映画』馬場広信 みすず書房
・『くさいはうまい』小泉武夫 文春文庫



ディケンズを読んでいるとヴィクトリアン時代のロンドンにタイムスリップしたような気分になる。石造りの建物の冷えびえとした空気や、通りのほの暗い街灯の下をとぼとぼと歩く野良犬、ぼろを着た子どもたちが遊んでいる路地の様子なんかを、まるで自分もそこにいるかのように肌で感じることができる。もちろん自分が疑似体験しているのは、知識として持っている当時の生活の様子、本の挿絵や当時の絵画、自分が知っている現在のロンドンの街などの情報を総合した想像の世界に過ぎないわけだけど、それでもやはり、私にとっては映画を見ているよりもスリリングで楽しい。『ハードタイムズ』はディケンズの小説には珍しくロンドンを舞台にしていないが、19世紀のイングランドの工業都市に住む人々の様子が生き生きと伝わってくる。 
ところで、ディケンズは性格の悪い人の描き方が唸るほど上手い。英語で読むのは時間がかかるが、がんばって原書で読むとなおさら、登場人物の味わい深いといっていいほどの性悪さが楽しめる。『ハードタイムズ』にも、『クリスマスカロル』の主人公、守銭奴スクルージ爺さんに負けないくらい性格のひねくれた人物が二人登場する。「事実」のみを重んじて自分の子ども達の子どもらしさを奪い、息子と娘の人生を潰してしまう男(Mr. Gradgrind)と、銀行家で会社を経営している男と結婚しようという目論みに失敗して、彼の妻になった人に意地悪を繰り返す、家柄だけが自慢の女(Ms. Sparsit)。二人とも「実際こんな人いるのかね」と苦笑してしまうほど嫌な人物だが、彼らの行動があまりにも克明に描写されているためか、意地悪な場面でもつい笑ってしまう。 


(これは中表紙の写真)
ィーリアスとその仲間の本は、1928年からディーリアスが死ぬまで彼の作品の筆記をつとめたエリック・フェンビィの70歳の誕生日を記念して編纂・出版された。エルガー、トーマス・ビーチャムを始めとする、ディーリアスと親交のあった人々が作曲家とのエピソードを語っている。まだ読みかけだが、ディーリアスを聴きながらゆっくり読みたい一冊。



タルコフスキーの映画についての本は、見たことのある作品についての解説書として読むにはおもしろい。人物の行動や場面がどのようなメタファーとして機能しているかを細かく分析し、一度見ただけではわかりにくい、作品にとって重要な場面について丁寧に解説している。タルコフスキーの思想についても、本人の著作からの引用ではなく、著者独自の視点での説明を試みている。しかし、作品を詳しく観たことのある人を対象に書かれているので、作品を観る前の予習として読むと先入観を刷り込まれてそれに縛られた見方になってしまうかもしれない。




発酵の研究で有名な小泉武夫・東京農大名誉教授の著書。2002年にこの方がNHK人間講座で担当していた「発酵は力なり」という番組は面白かった。世界中の発酵食品を食べて歩いている小泉氏だが、番組では、納豆はかき混ぜればかき混ぜるほど粘りが出て美味しいとか、納豆菌は最強とか、納豆についてことさら熱く語っていたのが印象的だった。
この本は母と妹たちとお昼を食べに行った先のお土産売り場で買って、数時間で読んでしまった。『くさいはうまい』は三章立てになっている。第一章は甘酒、味噌、チーズ、ピクルスなどの発酵食品について、それぞれの成分と作り方についての簡潔な解説。第二章「くさいはうまい」は、著者が世界中で食べた、臭いものについてのエッセイ。これがおもしろい。読んでいて目が痛くなりそうな臭さの魚や、鼻が曲がりそうな果物などを食べたときの話が、臭い食べ物への愛に溢れた語り口で書かれている。野生動物の肉なら何が一番不味いかって狐ほど不味いものはないそうだが、自分が食べた中ではタヌキの肉は泥臭さと尿臭さ(!)の強烈な悪臭がして食べづらかった、しかし昔の人がタヌキ汁といってあの臭い肉を美味しく食べようと工夫したのには感心してしまう、というように、ある食べ物がいかに臭いか、それを人々がどう工夫して美味しく食べているかについて、うんちくたっぷり、ユーモアたっぷりに書いてある。「激烈臭発酵食品」の項は、カナディアン・イヌイットの「キビヤック」という発酵食品のことを書いているのだが、食事前に読むのはおすすめできない。第三章は「におい文化の復権」と題した、哲学者・中村雄二郎との対談。
発酵した幼虫とか何年も寝かせた魚とかを平気で食べるエピソードを読んでいると、食べているものは「うっ」と思うようなものなのに、何故か元気が出てくる。ご本人がくさくてめずらしいものを食べるのを楽しんでいるからだろうか。たとえば、アザラシの皮にアパリアスという海鳥を70〜80羽も詰めたものを穴に埋めて何年も寝かせ、数年後にドロドロに腐ったアザラシの中からその海鳥を取り出して尾羽を抜き、肛門に口をつけて体液を吸い出す「キビヤック」を小泉氏は「極めて美味」「二、三羽食べたらもうあとは止まらない」と言っている。私にとってはほとんどホラーであり、想像しただけで具合が悪くなった。そして、これを目の前に出されたら、本当は自分が食べる自信と勇気がなくて食べられないだけなのに、「こんなものを食べるなんて私には無理」とつい見下したようなことを言ってしまいそうな自分に気がついた。小泉氏は違う。自分の想像を超えた奇妙な食べ物にも、それを食べている土地の人を決して馬鹿にすることなく、むしろその知恵に感心しながら喜んで挑戦している。たぶんこの姿勢が、この人すごい。。。と読者に勇気を与えるのだろう。それにしても、人を馬鹿にするということは、自分に自信がないか自身の価値観を信用できないことの裏返しなのだなあと反省。この他にも、珍奇な食べ物、くさい食べ物を食べた時のエピソードが満載なので、この本は電車の中で読むのは危険かもしれない。小泉氏は、文章でにおいを感じさせることのできる特異な人物だから、大笑いしてしまう危険性と、読んでいるだけで電車の中が臭ってくる可能性と、両方の面から危ない。






4冊とも読み応えがあって楽しめた。気になった方は読んでみてください。

2010年9月1日

夏の天気・転機(2)

Final mov. A Prom:ギル・シャハムと音楽の世界 

ギル・シャハムは、私が最も好きな音楽家の一人である。今生きている中では間違いなく最高のヴァイオリニストだと思う。何が素晴らしいって、彼の音楽は生きる喜びに溢れているところ。それから、いま鳴っている音楽の向こうにある、繊細でドラマチックで、壮大な世界を見せてくれるところ。その世界について説明するのは難しいが、いま持っているイメージをできるだけ言葉にしてみよう。 

私たちは、部屋の中にいる。部屋には大きな窓があって、その窓は開いている。大きく開いた窓にうすい半透明の美しいカーテンがかかっている。カーテンは、陽の光で強烈な光を帯びたりモノトーンになったりする。外の風によって形を変え、揺れたり膨らんだり丸まったりする。私たちはそのカーテンの動きを少し離れたところから飽きることなく眺め、その変化を楽しんでいる。時折カーテンが風に持ち上げられて、外の景色が見える。そこには、知識としては少しは知ってはいるけれど実際に体験したことはない、太古から続く生き生きとした広大な世界が広がっている。星が生まれてどんどん膨れ上がって最後にはブラックホールに収縮し、動物たちが何億年もかけて進化を遂げていったというような途方もない年月の世界。その世界を、私たちは憧れと知的好奇心から、カーテンの動き以上にもっとよく知りたいと切望する。想像力を働かせて、大きな風を期待して、もっと向こうを見ようとする。風が十分になければ、外を見ることは叶わない。そして、カーテンを取り去ってしまったら、窓の向こうの世界は、たんに視覚的な情報として認識される景色に過ぎない。鋭い観察によって、その世界について知識として記憶し、記述することはできるが、そこに見えている以上の物は知覚されない。カーテンの向こうが見えるのは、奇跡的なことなのだ。うすいカーテンが音楽で、カーテンの向こうに垣間見えるのが、音楽を超えた世界。 

注:私はパンチラについて語っているのではない。これは、音楽についての話だ。 

実際には音楽は目に見えないし、陽の光や風のような自然の力によって起こっているのでもない。演奏家の洗練された技術と研究に基づいた解釈とパフォーマンスによってなされる人為的なものであり、演奏者を無視して音楽だけ語れるものなのか、私にはわからない。音楽はカーテンだと言っているわけではない。音楽の向こうの世界のイメージを描くために視覚的なたとえを試みている。 

この説明で、どのくらいの人にどのくらい私がイメージするものが伝わるかはわからない。でも、音楽とはそこにただ鳴っていているという価値以上にとんでもなく大きな力を持っていることを、ギル・シャハムのような演奏家から私たちは知ることができるということを書きたかった。彼がヴァイオリニストとして、彼の個性だとかかっこいいところだとかそんなものではなく(いや、彼はハンサムだし演奏中の表情を見ていても楽しいけど)、演奏を通して大きな別の世界を垣間見せてくれることに、私は深い敬意と感謝を感じる。一体どれほどの神経とエネルギーを使ってその仕事を引き受け、我々に分け与えてくれているのだろうか。演奏しながら何を見ているのだろうか。私にはわからない。でも、想像する限りでは、聴く人に何かを教えようとしているのではなく、むしろ演奏者である自分を通り越して、聴く人がそこで鳴っている音楽を超えたものを感じていることを許容してくれているような気がする。なぜそんな自我を超えたことが可能かというと、彼自身が音楽の力を深く知っているからだろう。 

数年前にロイヤル・フェスティバル・ホールで、ギル・シャハムの弾くエルガーのヴァイオリン協奏曲を聴いた時のことは、生々しく思い出せる。自分が座っていた椅子の具合、ステージまでの距離感、オケがソリストにぐいぐい引っ張られて別次元の音楽空間へ向かう躍動感、観客の集中と興奮。 

この夏、BBCプロムスには一度だけ行った。ギル・シャハムがバーバーのヴァイオリン協奏曲を弾くというので。演奏はBBC Symphony Orchestra、指揮はデイビッド・ロバートソン。 
席は上のほうだったので、姿は小さくしか見えなかったが、演奏はとても楽しかった。
バーバーのヴァイオリン協奏曲は優れた楽曲であり、層になった音の組み合わせ方にわくわくしたし、端正で美しいメロディーには涙が出た。なんというドラマチックな音楽なんだろう。舞台の上で、ありとあらゆることが起こっている気がした。世の中にはまだまだ自分の知らない、深く尊く美しい世界がある。そして、音楽を聴きながら、私は自分の人生について、自分にとって何が大切か考えることができた。答えはもうそこにあった。 

私がいいなあと感じる演奏は皆、音が綺麗とか情熱的だという以上に、その人の持つ個とその向こうにあるものが感じられるという点で共通している。私のチェロの先生、Lowri Blake(ロウリ先生)の演奏には、ギル・シャハムの宇宙の進化を感じさせるような世界観とは違って、人間の強靭さと思考の豊かさ、感情の複雑さについて考えさせられる力がある。たった数音でも、はっとすることがある。例えていえば、すごく新鮮で美味しいお寿司を口にした瞬間に、その魚が海で泳いでいるところや、魚市場の箱の中でもぴちぴち跳ねているところ、それがまな板の上で鋭利な包丁で捌かれているところなどを、自分が実際に目で見たことがなくても鮮やかにイメージし、想像の中で体験できるということがあると思う。それが、その魚が実際に辿ってきた道筋であるかということは重要ではない。目の前にある対象物から出発して大きなイマジネーションの世界を旅して帰ってくるという、一瞬にして壮大な旅ができるということが貴重だ。そういう旅をさせてくれる演奏とは、なんて懐が深いんだろうと思う。 


こういう感覚的なことは、もうあまり書きたくないと思っていた。きっと、とても曖昧で、不明瞭で、わかりにくく、非論理的で、伝わらないばかりでなく、もしかしたら人を戸惑わせたりいらいらさせたりするかもしれないから。ここに書いたことも、ほとんど意味不明な妄想に見える可能性もある。だけど、夏の終わりにプロムスに行って、ギル・シャハムの演奏を聴いて、ああ、今まで辛いこともあったけど、生きててよかったなあと思った。自分にはまだちゃんと力が残っていたんだとわかった。そして、正直に何か書きたくなった。これまで、音楽を通して壮大な世界を体験することで、私は自分の重要な部分を創ってきた。コンサートでもCDでも普段の演奏でも、良いものを聴いた時は、カーテンの向こうに見えた世界を言葉に置き換えてみるトレーニングをひとりで随分続けてきた。そのトレーニングを通して、私は人のいいところを見つけて言葉にすることができるようになったと思う。今後も、怖れることなく、自分の言葉で書き、必要な時は勇気を持って言葉で伝えていきたい。 

人生はまだまだ長いし、挫折だって辛い思いだって失敗だってこれからもするだろう。だけどあまり暗いことばかり考えないで、自分のことをもうちょっと信用してひとりでやっていけば、いつかは私にも、人を幸せにするようなことを何かかたちにできるかもしれない。 
空の星のように小さく遠い希望だが、希望を持てたことが、このひと月で最も大きな出来事だった。

夏の天気・転機

これまで実家(山)で暮らしていたが、思うところいろいろとあり、8月はイギリスで過ごした(途中フランスのチェロコースにも行った)。 

ここ数ヶ月は精神的に相当きつく、薬の力も借りてぢっと回復を信じてやってきて実際随分良くなったのだが、イギリス(とフランス)へ行く気力が本当に自分にあるのかは、出発の前日まで自分でもわからなかった。前日になって、ここまで回復できたのは私一人の力ではない、家族、友人、病院の先生など、支えてくれた人たちのおかげだから、このひと月できっと元気になって帰って来ようと腹が据わった。結果からいえば、イギリスに行って本当によかった! 昨日日本へ無事帰国した。 

もう一度イギリスへ行ってこようという選択は正しかった。基本的にはただ勉強をしていただけであるが、それでも、自分にとって大きな出来事はあった。この夏印象的だった体験を2つ書こうと思う。

その前に... ひと月間、Oさんには本当にお世話になった。部屋を貸してくださっただけでなく、散歩に連れ出して美しい夏のウィンブルドンを見せてくださったり、美味しい食事を作ってくださったり、ここではとても書ききれない。無事にイギリスに滞在できたのはOさんが本当に良くしてくださったからだ。ありがとうございました。 


1st mov. ハーブティーの効能 
(2nd mov. フランスでのチェロコース) 
(3rd mov. 前に住んでいた家に行った) 
Final mov. A Prom:ギル・シャハムと音楽の世界 
(2は前回の「チェロ日記」。3はここでは割愛) 


1st mov. ハーブティーの効能

私は寝る前にカフェインを摂っても睡眠に影響のない体質ということもあり、普段は朝も昼も夜も緑茶(中国茶含む)を飲んでいるし、ついでにいえばハーブティーなんてしゃらくさいと思っていたのでこれまで積極的に試したことはなかった。たまにルイボスティー、カモミールなど飲んでいた程度。でも、今回Oさんのお宅では様々な種類のハーブティーを頂いて、すっかり気に入ってしまった。 

まずは、美味しさ! 
ハーブティーは美味しくないというイメージがあったけど、最近のものは昔より美味しくなったのだろうか?それとも若い頃ひ○ねの喫茶店で飲んだ、煮出した毒色ペパーミントティーのトラウマからそう思い込んでいただけ? 今回飲んだものはどれも美味しかった。ある草のみを乾燥させて砕いたもの(シングル)も、いくつかの薬草をブレンドし、オイルを加えて作ってあるものも、独自の香りと味の残響がある。よく味わうためには、マグカップにティーバッグを入れてお湯を注いでから、茶葉が広がってオイルが十分拡散するまで数分間待つのが大事だそうだ。 

おおおっ美味しいと思ったのは、Dr. Stuart's というシリーズのDetoxというハーブティー。日本語のウェブには、「デトックスは、体内の老廃物の排出作用があり、血液や細胞組織の浄化に効果があります」とある。(溜まった毒を全部解毒してくれるなら何杯でも飲むよ...) 実際の効果のほどはわからないけど、これは甘みが強くて刺激が少ないので飲みやすい。タンポポの根、ゴボウの根、トウモロコシの絹毛、オオアザミ、生姜の根などちょっと奇妙なものがいろいろ入っている。普通に飲んでもかなり美味しいけど、日本で、水出しして氷を入れて飲んでみたらそれもとても美味しかった。家の人にも好評だった。 
日本でも取り寄せできます。ウェブサイトはこちら。 
http://drstuarts.shop-pro.jp/?pid=2074981 
http://drstuarts.shop-pro.jp/ 


そして、効能。 
ハーブティ(herbal tea)については様々な定義があるようだが、通常茶ノ木以外の植物(とくに消毒・殺菌、精神の安定など食用以外の効能が認められる植物)の葉、花、果実などを煎じた飲み物をさすらしい。 
スーパーマーケットのお茶コーナーに行くと、様々な種類のハーブティーが売られており、パッケージを見ると、それぞれ原材料名の記載とあわせて「安眠」「美容効果」「リフレッシュ」などその効能が書いてある。 

「リラックス」「トランキリティ」などいろいろ試したが、特に効いたという実感があったのは、Celestial(セレッシャル)というブランドのsleepytimeというハーブティー。「スリーピー」というだけあって、このお茶を寝る前に飲んだら、自然と眠くなってベッドに入ったらすぐに眠れた。ここ数ヶ月、日本では明け方まで眠れず、ぼーっとした頭で机に向かっていたことが多かったので、お茶を飲んだら眠れたのにはびっくりした。 
http://www.celestialseasonings.com/ 
「スリーピータイム」にはカモミール、スペアミント、レモングラス、ブラックベリーの葉、ローズバッドなどがブレンドされている。カモミールは不眠、不安、消化不良、食欲不振に、スペアミントは疲労、ストレス、神経性の緊張に効果があり、レモングラスには殺菌、消化促進に加えて疲れた心を回復させる、心を明るく高揚させる力があるとのこと。 
このお茶は、冷めても美味しい。何かを始めるとお茶を入れたことを忘れる人間にとってはありがたい。 
日本でも通販で取り寄せできます。セレッシャルのウェブサイトはこちら。とってもおすすめです! 
http://www.celestialjapan.com/ 

ところで、イギリスといえば紅茶のイメージがあるが、イギリス人がお茶を輸入して飲み出したのはここ350年くらいのことであり、それまではエールかサイダー(リンゴジュースで作った飲み物。通常アルコール飲料)か、ハーブを乾燥させて煮出したものを飲んでいたらしい。お茶がイギリス国民の飲み物として定着したのは1750年頃。お茶といっても紅茶ではなく、当時は粉緑茶または低級なウーロン茶だった。イギリス宮廷では、1662年にポルトガルから国王チャールズ2世に嫁いだキャサリン王妃の趣味でお茶を楽しむようになり、のちに上流階級にも広まって洗練されたイギリスの喫茶文化となった。1700年代後半になって発酵の度合いの高い紅茶(工夫紅茶)の生産が中国、インドでさかんになった。紅茶がイギリスに大量に輸入され、庶民にも普及したことは、サトウキビの輸入販売が拡大したことと密接に関係している。産業革命期には、アルコールのかわりにミルクと砂糖を入れた紅茶を飲むことが推奨されるようになった。ロンドンのコーヒー・紅茶博物館のウェブサイトには、紅茶を飲むようになって、人びとは工場での長時間労働に耐えられるようになったと書いてある。紅茶はイギリスの経済的・文化的発展において大きな役割を担っていたのだ。20世紀の初めにティーバッグが発明されて、人びとはますます手軽に紅茶を飲めるようになった。 
ハーブはというと、人類は有史以前から薬草を医療用、精神の治療用に用いており、薬草を煎じたものを薬として飲んでいた。中世ヨーロッパでは、修道院で病気の治療法の研究の一環として薬草の研究が行われていた。イギリスでは、1600年代にハーブの研究を熱心に行ったニコラス・カルペパーが、1649年、Pharmacopoeia という薬草書をラテン語から英語に翻訳して出版し、それまで医師の特権であり秘密であった薬草の知識を庶民にも広めた。現代では、ハーブの効能は広く知られており、美容、ダイエット、心身の鎮静、リラックスなど様々な目的にあわせたハーブティーが各種生産販売されている。 

ハーブティーの効能については、即効性を期待しすぎてもいけないが、ホントかねえと疑心暗鬼で飲むより、「ちょっと気分が落ち着かないからリラックスのお茶にしようかな」とか、「ローズヒップは美容に効果があるのかー。飲んだらちょっと美人になれるかも!?」と楽観的に思って(でも美容効果はむしろ願掛け)飲んだほうが良いことも、今回の発見であった。 

健康のためといって不味いものを我慢して飲んだり食べたりするのはかえって悪影響だと思うけど、美味しくて、しかもちょっと気分がほっとしたり、眠れたりするなら、ハーブティーはすごいと思う。 

(続く) 

 

ロンドンブリッジすぐ近くのコーヒー・紅茶博物館のウェブサイトはこちら。二回行ったことがあるが、地味ながらなかなかおもしろい博物館だった。 
http://www.teaandcoffeemuseum.co.uk/ 

参考にしたウェブサイト 
http://www.ayati.com/TEA/REKISI.HTM 
http://www.panix.com/~kendra/tea/tea_to_england.html 
http://en.wikipedia.org/wiki/History_of_tea#United_Kingdom 
http://www.jp-greentea.co.jp/herb/kenko5.html 
http://www.herbpalace.com/alternative-medicine/herbal-medicine.html 
http://homepage2.nifty.com/toishi-a/culpepper1.htm

2010年8月24日

チェロ日記

昨年の夏、イギリスでダーティントン音楽祭に初めて参加し、自由に音楽を楽しむことの素晴らしさを味わった。あれから一年が経った。自分の身にいろいろなことが起こり、幸せな思いも苦しい思いも経験した一年間だった。ダーティントンの一週間は、もうずいぶん昔のことのように思える。

今年の夏は、フランスへ行き、チェロを習っている先生が主催するサマーコースに参加した。美しい南仏の村での一週間のチェロ合宿。
参加者の半分は、去年ダーティントンのL先生のクラスで会ったチェロ仲間。その全員が目覚ましく上達していて、再会の喜びはより大きいものとなった。技術的には皆まだまだ途上だが、一人ひとりが誰の真似でもない自分の音楽を出せるようになっていた。個のある音には心を動かされる。それが人に良きものをもたらすような個性であればなおさら。

L先生に習い始めて一年半が経った。チェロの技術を積極的に改善する、楽譜に書かれたことについて考え弾いてみる、そういうプロセスが少しずつ身に染み込んできたのを感じる。以下、今回学んだことを書いてみる。


・基本方針

楽譜を読んで全体の方針を定め、目的に叶った技術ができるようになるまで練習する。一つ一つの音に気を配り、ビブラート、弓の抜き方、間のとり方なども含めてどうプロジェクションするかシミュレーションする。演劇の役者になったつもりで、舞台を意識して練習する。「仮面をかぶるのよ。私は、沙都子。(by 北島マヤ)」
でも、そこまで準備したら、実際に通して演奏する時は、音楽そのものの力、弾いている空間、聴いている人たちにゆだねる。


・楽器の構え
皆で演奏している写真を見ていて気がついたのだが、私は楽器をほかの人より低い位置で構えており、結果指盤寄りでしか弾けないし、弓先に行くにつれて肩も上がってしまうような構えになっている。肩が上がらないようには気をつけなければいけないが、構え方である程度改善が望めそう。楽器を上から抱き込むように座って腕を積極的に楽器に乗せるほうがいいのかもしれない。先生のエンドピンの長さと身長を自分と比較してみると、今の私のエンドピンは少し長すぎるかもしれない。


・右手
今年の1月までは右手のことばかり言われてきたが、今回は、弓の持ち方や右手の親指が反ってしまう癖について指摘されなかった。鏡を見たりビデオを撮ったりして練習してきたのが良かったと思う。でもまだ長い時間弓を持っていると持ち方がおかしくなることがあるので、引き続き注意したい。


・小指のビブラート
今回言われ続けたのがビブラート、とくに小指のビブラート。チェロのビブラートはヴァイオリンとは違って腕からかけるのだが、小指となると左腕全体が緊張してしまう。左手の肘の角度や親指の位置などを改善する必要がある。


・弓とポジション移動の速度
弓の使い方は大きな課題となった。狙った音を最適な位置で出せるように、時には素早い弓使いが必要だが、私の弓は自分なりのテンポで動いていることが多く、その動きは大抵のろい。でも、だからといって素早く直線的に弓を動かすのではなく、常に弧の動きを意識する。急がば回れ(?)
ポジション移動も同じで、あっ、と思ったときにはもう移動が間に合わなくて慌てふためいて全身に緊張が走るというパターンが頻出。


・プロジェクション
先生からも身近な人からも指摘されたことだが、私はこれまで自分の興味あること全てのベクトルが内側に向かっていた。これには強い自覚がある。小さい頃から興味があること好きなことはいろいろあるのだが、その全ては一人でもできることであり、実際一人で楽しんだり熱心に考えたりしてきた。でもその楽しみを人にどう伝えるかについてはまったく無頓着だった。妹たちや友達と遊ぶのは楽しかったけど、そういう時間は自分ひとりの興味とは接点をもたなかった。だから、大人になっても、オーケストラやアンサンブルでチェロを弾いて全くの他人と一緒に何か作ることは面白いと感じるが、一人でひとつの音にこだわって何時間も弾いている喜びを演奏という形に昇華して人に伝え、人と楽しみを共有する可能性があるとは思っていなかった。すべては独り言のような演奏だったのだろう。
それが、この一年くらいの間に変わってきた。音楽について(いや、その他のことも)相談したり、話し合ったりする中で、自分の意見を言いたいと思うようになった。たとえ変に思われても失敗してもやってみようと思うようになった。小さいときみたいに理不尽に先生に叱られることもないし。先生が、「思うように安心してやってみなさい、そのための技術は私に任せて。」という絶対的な許容を与えてくれたことで、チェロを弾くことが本当に楽しくなった。私を穴ぐらから世界に引っ張り出してくれた。人はほめられて認められて伸びるという、書いてしまうとシンプルなことを実現できる先生は偉大だ。
フランスに行く前になって、自分の演奏を聴いてほしい、この曲をできるだけ自分の理想に近い形で伝えたいと思うようになった。閉じこもらないで、勇気を出して自分がやってきたことを見てもらおうと思った。レッスンでは、演奏をするときには役者になったつもりでプロジェクションをしなさい、と今までより一段階進んだ指導を得られた。金曜日に内輪の発表会で弾いたときには、今までの中では一番良く弾けたと思う。そして、自分の中に閉じこもらずに気持ちを外に向けて弾いたことは、聴いてくれた人にちゃんと伝えられたみたいだった。この半年は本当に元気をなくして希望を失っていたから、小さな一歩を達成できたことに涙が出そうになった。また、参加していた人たちからの温かい言葉には本当に救われた。


先生から頂いたメイルを少しだけ引用して、これからの励みにしたい。


When you performed with piano on Friday, you were a different player indeed, with a sound and poise that allowed you to be your true self.


I feel that you will find that way in time, and you have a lot of inner strength. 



もっともっと上手くなって、また会うときにはもっといい音楽を聴いてもらいたい。そして、上達を喜びあいたいと思う。





2010年7月22日

リラックス?

これまで順調に回復していたと思っていたのに、7月に入って具合が悪くなってしまった。しかも先週は突然高熱を出して、家の人びとを驚かせてしまった。
ずっと悪くないペースで勉強できていたというのに、ここへきて遅れが出てしまったのでかなり焦っている。

4月から診ていただいている先生に、どうにも調子が悪いんですと話をしたところ、「十数年前に入院したときのカルテも見たが、○○さん(私)は自分の心や身体の疲れに気づきにくい人なのではないか」と指摘された。基本的にとても我慢強く、集中力が続くし無理もきくのだが、実は本人が気づかないうちに心身の疲れが蓄積して、突然身体に不具合がおこるタイプなのでは、という。こういう人は、大きなショックを受けても周りが驚くほど早く立ち直ったように見えるし、本人も大丈夫大丈夫と思っているのだが、実は感情の処理がうまくいっているのではない、自分の感情の揺れの程度が自覚できていないのだ、今回も、無理に気持ちを切り替えて別のことに集中し続けてきた結果、イギリス生活の疲れもあって身体のほうがおかしくなって警告を出したとみるべきでしょうという。
最初は「?? そうなの?」という感じだったが、説明をきいているうちに、なるほどそういう見方ができるのかと驚いた。家の人に話したら、妙〜に納得していた。

しかし、本人が自分の疲れに気づきにくいということだから、今後も不測の事態が身体に起こる可能性があるわけだ。おそろしいことである。なんとか予防する方法はないものでしょうか、とお聞きすると、先生は、意識的にリラックスするように、と仰る。
リラックスというのは意識して休む時間をとるということらしい。集中しないで休むというのは私にとっては難しい課題だ。でも、具合を悪くして自分の目的が達成できなかったり周りに迷惑をかけたりしたくはないので、前回の診察の後からは、家の人に「ちょっと休んだほうがいい」とか「疲れてひどい顔をしている」とか言われたときには手を止めるようにした。言われても自覚がないし、集中力が続いているのに休むのは不本意ではあるのだけど、トレーニングと思うようにしよう。ところで、休憩時間に家庭菜園の水やりをしたら、作物全部に順番に丁寧に水をあげているうちにホースがはねて服がびしょびしょになってしまった。がーん。

なぜこんな日記を書いたかというと、自分が実は疲れてることに本当には気がついていなくて身体に負担がかかっている人がほかにもいるんじゃないかと思ったからだ。あれ?私もそうかな、とちらっと思ったらぜひちょっと一休みしてみてください。

2010年6月28日

日々訥々

今後の先行きを考えると動悸がする日々である。 一日のうち、机に向かっている以外は、チェロの練習をして、家事を少ししている。
そういう生活を始めて二ヶ月近くが経った。

なわとびはすっかり止めてしまって、もう最近では、腰が痛くなると床に寝そべって勉強の本を開いている。ずいぶん行儀が悪くなったものだ。今は、ベッドを背もたれに、床に座ってこの日記を書いている。運動不足でハラニクが気になりつつある。
階下で妹がベートーヴェンのピアノソナタ『悲愴』の第2楽章を弾いている。離れた部屋から聞こえてくる明るくて若々しい悲愴は、どこか哀しい。そういう性質の音楽だからなのか、妹に何か悲しいことでもあったのか、私の心持ちの問題なのかは、わからない。

ところで、このベートーヴェンのピアノソナタ第8番ハ短調 op. 13の『悲愴』の第2楽章に私が題名を付けるなら、「内省」としたい。この音楽には、素直に自分の声に耳を傾け、いままでの人生を、自分にがっかりするのではなくこれからに繋がる何かを学ぶためにまっすぐに振り返らせてくれる力があるような気がする。
(ナクソスで18種類聴いてみたが、ブレンデルの鐘の音のような演奏が印象に残った。)
夜はたいして眠れないので、じっと机に向かって勉強を続けているが、時々どうしようもなくやりきれない気持ちになってくる。頭の中でいやな、悲しい想像が巡る。そういうときは、諦めてベッドに入って続きをしながら深呼吸をするか、外の蛙の声を聴く。蛙は夜鳴く。家の外には数種類の蛙がいて、それぞれ違う声で鳴いていることなど、夜起きていなければ知ることはなかっただろう。

朝には日が昇り、世界は明るんでくる。
雨が降っていても、世界は明るくなる。








1週間前に始めた問題集が一冊終わった。記念に日記を書くことにした。少し嬉しい気持ち。

2010年6月17日

ブリッジで魂の柱を跨ぐ

チェロの駒と魂柱を替えていただいた。 
妙齢・無職・実家住まい・ささやかな楽しみは庭の二十日大根の成長、という現状においては贅沢とはわかっているけれど、イギリスにいるときから長い間希望していたことだったので、念願かなって本当に嬉しい。 

交換をしてくださったのはとある神職人で、以前一度工房に連れて行ってもらったときに、お願いするならこの方しかないと確信した人であった。 

チェロは、生まれ変わった。もう15年くらいつきあっている楽器で、長所、癖、不具合などよく承知しているつもりだが、先日、目の前で駒と魂柱を替えていただいた後、弓を載せた瞬間に音が鳴ったのにはおどろいた。こんなにいい音が出るとはびっくり。下手の一番の原因が自分の腕の不味さなのはもちろんだが、正直いままで、楽器に限界を感じていた部分もあった。ごめんよ、○○(←楽器の名前)。見た目にもしまりがでて楽器らしくなったのにも重ねてびっくり。 

驚きと喜びで挙動不審になっている私に神職人は、 
「僕は、女の人がチェロを弾くというのはいいなあと思うんだよね。旦那さんが(人生に疲れて)もうどっかへ飛び降りようと思ったときに奥さんのチェロの音が聴こえてきたら、ああ人生にはまだこんなに楽しいことがあると思って(自殺を)思いとどまるかもしれないね。」 
と言ってくださったのだが、いやあ、このシチュエーションってどうなんでしょう!? このような究極の事態そのものはできる限り避けたいですね! とはいえ、(いまはあらゆる意味でこういう場面は想像できないけど)こういう種の力を持ったチェロが弾けたらいいなあとはとても思う。なぜかというと、人の心を強烈に動かし時には行動にも影響を与えるような音楽というのは演奏する人の深い信念から生じるものだと思うし、そうだとすると、チェロをやっていることで究極的には何を目指すのかと問われたとき、人が・とくに自分にとって大切な人が、生きていたくなるような音楽の所作です、と答えるなら、それは極めて健全な精神のあり方であるような気がするから。神の言葉は深い。 

さて、楽器のせいではなく、自分の腕の問題がより明らかになって、工夫すれば違う音が出るようになった。練習がまた楽しくなり、心の傷にもかさぶたができつつあるのを感じる。

2010年5月23日

賀茂真淵『にひまなび』

江戸時代の国学者、賀茂真淵の著『にひまなび』より。

今日、お茶摘みをして日差しと植物の生命力を強く感じたせいか、夜にこれを読んだときとても心に響くものがあったので本文と現代語訳を載せることにした。

【昼間の感想】
真っ直ぐに伸びたお茶の芽を手で摘み取っていると、「気高く真っ直ぐなもののうちにある優雅さ、雄大さ」を手応えあるものとして感じる。そのお茶の芽についてかこうと思えば、その見た目の綺麗さだけを並べたきれいごとだけではとても足りない。強烈な日差しや騒音ともいえる大量の雨について、地面から伸びている草との戦いについて思いめぐらすことなしに、そのやわらかい新芽の気高い生命力を表現するすべは(文章でも、絵でも、音楽であっても)ない。(しかし、実際にどう表現するかは別の話だ。)
人は、時々でも何かの生命に触れて、清潔で見た目がよい綺麗さはなくとも、そこに確かにある気高さや雄大さを直接感じる必要があると思う。そういうものに触れたときに、人はそれを「いとおしい」と感じるのではないか。



現代語訳は、夏古彩佑歌編によるもの。
本文、現代語訳ともに、一部、漢字をひらがなに直し、言葉遣いをより現代語に近いものに変えた。



【にひまなび】

いにしへの歌は調しらべを専らとせり。うたふ物なればなり。その調の大よそは、のどにも、あきらにも、さやに(*清澄に)も、遠をくらにも、己がじし得たるまにまになる物の、貫くに、高く直き心をもてす。且つその高き中に雅びあり。直き中に雄々しき心はあるなり。何ぞといへば、万づの物の父母なる天地は春夏秋冬をなしぬ。そが中に生まるゝ物、こを分ち得るからに、うたひ出づる歌の調もしか也。また春と夏と交り、秋と冬と交れるがごと、彼れ是れを兼ねたるも有りて、種々なれど、各それに付けつゝ宜しき調は有るめり。然ればいにしへの事を知る上に、今その調の状さまをも見るに、大和國は丈夫國ますらをのくににして、古は女をみなも丈夫に習へり。故(かれ)、万葉集の歌は、凡そ丈夫の手振り(*流儀)なり。山背國は手弱女國(たをやめくに)にして、丈夫も手弱女を習ひぬ。故、古今歌集の歌は、專ら手弱女の姿なり。仍りてかの古今歌集に、六人の歌を判る(ことわる=評価する)に、のどかにさやかなるを、姿を得たりとし、強く堅きを鄙びたりと云へるは、その國、その時の姿を姿として、広くいにしへをかへり見ざるものなり。物は四つの時のさまざま有るなるを、しかのみ判らば、只春の長閑なるをのみ取りて、夏冬を捨て、手弱女ぶりによりて、丈夫すさみを忌むに似たり。そもそも上つ御代御代、その大和の國に宮敷きましゝ時は、おもてには建たけき御稜威(みいづ=威勢)をもて、内には寛ひろき和(にごみ)をなして、天の下をまつろへましゝからに、いや栄えに栄えまし、民もひたぶるに上を貴みて、己れも直く伝はれりしを、山背の國に遷しましゝゆ、かしこき御稜威のやゝ劣りに劣り給ひ、民も彼れにつき是れにおもねりて、心邪(よこしま)に成り行きにしは、何ぞの故と思ふらんや。其の丈夫の道を用ゐ給はず、手弱女の姿をうるはしむ國ぶりと成り、それが上に唐の國ぶり行はれて、民、上を畏まず、奸よこす(*非道を行う・中傷する)心の出できし故ぞ。然れば、春の長閑に、夏のかしこく、秋のいち早く、冬の潜まれる、種々無くては、よろづ足らはざるなり。古今歌集出でてよりは、やはらびたるを歌といふと覚えて、雄々しく強きを賤しとするは、甚じき(いみじき)僻事なり。これらの心を知らんには、万葉集を常に見よ。且つ我が歌もそれに似ばやと思ひて、年月に(*永年)詠む程に、其の調も心も、心に染みぬべし。さるが中に万葉は撰みぬる巻は少なくて、多くは家々の歌集なれば、悪しき歌、悪しき言もあり。いで今摸かたとし学ばんには、よきをとるべし。そのよきを撰むは難かれど、既にいへる調を思ひてとるべし。また本はいと愛でたくて、末悪しきもあり。そは本を学びて末を捨つべし。是れを善くとれるは、鎌倉のおほまうち君(*源実朝)なり。その歌どもを多く見て思へ。しかすがに(*反面)、又古今歌集を見るべし。こは凡そ女の姿なる中に、詠み人知らえぬ歌には、奈良の朝(みかど)の歌もあり。且つそを後の言して唱へ変へたるも有り。今の都なるも、始め三嗣ばかりの御代は、万づいにしへの手振ありて、歌もなかばいにしへを兼ねたり。よりて此の集には、詠み人知らずてふにこそ勝れたる歌は多けれ。それより後なる中には、細かに巧みて心深げなるを去るべし。本撰める物といへど、いにしへにかへらんとする時は、などか更に撰みの有らざらん。斯く意得(こころえ)たる後には、後撰、拾遺の歌集、古今六帖、古き物語書ぶみらをも見よ。かくて立かへり、古事記、日本紀を読み、続日本紀の宣命、延喜式の祝詞の巻などを善く見ば、歌のみかは、自おのづから古き樣の文をも綴らるべきなり。



【現代語訳】

古代の和歌は、「調子」をもっぱら第一とする。声に出して歌うものだからである。その調べのおおよそのところを述べれば、穏やかにも、明瞭にも、鮮やかにも、ほの暗くも、それぞれ思い思いの調子で詠んでもかまわないものなのであるが、一貫しているのは、気高く真っ直ぐな心である。またその気高さの中に優雅さがある。まっすぐな中に雄大な感じがあるのである。どういうことかというと、万物の生成の根源である天地は、春夏秋冬という季節の違いを創造した。天地の中に生まれるものが、季節を分ち、作ったが故に、歌い出る歌もまた同様である。また春と夏とが交差し、秋と冬とが交差するように、(もともとが気高く真っ直ぐな心で、その中からさまざまな調べが生まれるのであり)、あれこれの調子をかねているものもあってさまざまであるが、おのおのそれぞれにまあまあよい調べがあるようだ。したがって、古代のことを知る上では、いまその調べのさまをも見るのだが、大和の国は勇ましく強く立派な男性的な国であって、古代は女性も男性風にまねならっていた。ゆえに、『万葉集』の歌は、だいたい男性的な歌風である。(一方)山城の国はか弱くしなやかな女性的な国であって、男性も女性風にまね習っていた。ゆえに、『古今和歌集』の歌は、もっぱら女性的な歌風である。よってかの『古今和歌集』に、六人の歌を評するに際して、穏やかで清々しい歌を格調が高いとし、強くかたい感じの歌を田舎じみているといっているのは、その国、その当時の歌風を格調高いものとして、広く古代を顧みないものである。ものには四季のようにさまざまな姿があるのに、このようにばかり(一面的に)評価するのならば、ただ春ののどかさだけを取り上げて、夏や冬を捨てて、「手弱女」のような(か弱くしなやかな)歌風によって、「丈夫」のように気のままに任せることを嫌うのに似ている。そもそも上代の各御代が、大和の国に都を治めておいでだったときは、外向きには天皇や神などの威勢をもって、内側にはおおらかな和やかさをもって、天下を服従させたので、国は増々繁栄し、国民も為政者を尊んで、自身も素直な心のままで代々続いてきたのに、山城の国にせんとなさってから、恐れ多い天皇や神などの威勢が次第に劣るようになり、国民もあれこれに従ったりおもねったりして、心がよこしまになっていったのは、何故と思っているのだろうか。その理由は、「丈夫」の道を用いず、「手弱女」の姿を評価する国風となって、その上に唐の国風が行われて、国民は上を尊敬せず、ないことをあるように悪口を言う心ができたからである。であるから、春はのどかに、夏は烈しく、秋はものの変化が早く、冬は静寂であるというようにさまざまでなければ、すべては不十分なのである。『古今和歌集』が出てからは、優美なものを和歌だというのだとなんとなく思われて、雄々しく強靭な歌を卑しいと見るのは、はなはだしき誤りである。これら四季それぞれの感じを知ろうとするなら、『万葉集』を常に見よ。かつ自分の歌もそれに似せたいと思って、年月を重ねて詠むうちに、その調べも心も心にしみ込むであろう。そのような中で、『万葉集』は選者が選択して成った巻は少なく、多くは家々の歌集そのままであるから、下手な歌や、下手な言葉もある。だから、さあいま模範として学ぼうとするなら、うまい歌を選ぶのがよい。そのうまい歌を選ぶのは難しいが、既に述べた「調べ」を念頭において選ぶがよい。また、(一首の中でも)上の句はとてもすばらしくて、下の句は下手なのもある。その場合は、上の句を学んで下の句を捨てるのがよい。これをよく学んだのは、源実朝である。その実朝の多くの歌を見て考えなさい。そうはいうものの、『古今和歌集』も見るべきである。これはおよそ女性的な歌風である中に、詠み人知らずの歌には、奈良調の歌もある。またそれを後世の言葉で唱え変えているものもある。いまの都のある平安時代に入っても、桓武、平城、嵯峨くらいの御代は、万事古代の詠みぶりが残っていて、歌も半ばは古代の歌風を兼ね備えている。よってこの『古今和歌集』には、詠み人知らずという歌にこそ優れた歌が多いのである。それより後の歌の中には、繊細に思考をこらして内容が深そうなものがあるが、それは遠ざけるがよい。(『古今和歌集』は)基本的に(選者が)選んだものであるといっても、古代に還ろうとするするときは、どうしてさらに選択しないことがあろうか(選択して学べばよいのである)。このように心得たら、『後撰和歌集』、『拾遺和歌集』、『古今和歌六帖』、古い物語書などを見よ。こうして(上代に)立ち返り、『古事記』、『日本書紀』を読み、『続日本紀』の宣命、『延喜式』の祝詞の巻などをよく見るならば、歌だけでなく、自然と古代風な文章を綴れるようになるはずである。

2010年5月19日

日課としての縄跳び

毎日12〜15時間くらい机に向かっているので腰が痛い。それに、少しは体を動かしていないと気持ちが沈んで辛いので、昨晩から夕食後に5分間縄跳びをすることにした。

日課が増えすぎるのはよくないのだろうが、いまは、ピアノとチェロをあわせて毎日1時間くらい、図画工作を眠気の強い夕方と、どうしても辛くなったときに少しずつやるようにしている。それに縄跳びを5分追加した。

チェロは、体の力を抜いて弾くことに加えて、自分の音をよく聴きなさい、どんな音を出しているか、どんな音を出したいのか、よく考えてよく聴きなさい、と先生にいつもいわれてきた。自分の音を聴けるようになる、そして弾くことと聴くことのギャップを埋めていくというのが今年の最大の目標なので、とにかく肩、肘、指、手首、腹、胆、足などいろいろなところに意識を向けつつ、音がどう変わるか、変な表現だが耳にも目を向けて練習している。私は、理想とする音楽が自分の中にあって、心の中で歌っていると自分がオーケストラのジュークボックスになったようで幸福を感じるのだが、チェロに関しては、ただテープを聞かされてそれを真似てきた経緯があるためか、理想の音楽の輪郭がぼけていることが多いことがわかってきた。そして、「こういう音楽にしたい」ということが明確にわかっていないと意識を向ける方向を間違うということもわかってきた。それにしても、実際少しでも思いどおりの音楽ができると、幸福に他ではちょっと味わえない嬉しさが加わる。我ながら安い趣味だなあ。
チェロの練習はたいてい録画してあとで復習している。この1年と少しの間に無心で練習することはなくなったが、録音したものを聞いてみると、やはりすべての音に神経が行き届いてはおらず、意味のない無神経な音を出している。あとから聞くと、どの音やフレーズに意識が注入されているかそうでないか、非常に良くわかる。自分の音を集中して聞きながら、然るべきテンポではじめから終わりまで弾き通せていることは、まだあまりない。ああ、もっと上手くなりたい。

ピアノは、愛の挨拶を弾いている。春に聴いたチッコリーニの演奏が自分の中にスタンダードとして刻み込まれた。音楽にしかできない所作のきわめて高貴なすがたがあった。あれはあの瞬間にあの人にしかできない愛の挨拶だったのだ。あんなふうに、聴く人の心にすっと入りこんで幸せを残していってくれる演奏ができたら、どんなに素晴らしいだろう。
私もそういうふうでありたい、そう思いながらじっと弾いている。とても楽しい。録音してみたが、下手なりに、こだわりという名の味が感じられる。下手の横好きとはよくいったものだ。

絵は、川を描いている。絵は、頭の中にある描くべきものに一直線に向かって手を動かしているだけなので楽だし、描こうとしているのが何か特殊な概念構築物でもなんでもないただの川だからか、しばらく後には気が休まっている。

そして、縄跳び。夜風に当たりながら、ただぴょんぴょん跳ぶのは気持ちがいい。しかし、1分と続かないうちにひっかかってしまう。なんとか3分くらいまで持っていきたい。

2010年5月14日

夏の足音

夜の10時頃に空を見たら、北東の空にベガが見えた。もう夏がそこまで来ているのだ。


南の空に赤く光っていたのは、さそり座のアンタレス。これを目印に、同じくらいの高度を保ったまま少しずつ西に目を向けていくと、大きな乙女座がわりあいにすぐに見つかる。アンタレスは、非常に強く美しい星だ。火星と並ぶときは空に赤い星が二つ競うように見える(アンタレスは、アンチ・アレース=ギリシア神話のアレースは、戦いの神マルスMarsに相当し、どちらも火星とされているので「対火星」の意となる)のだが、火星とは違って輝きに威厳がある。
乙女座は巨大で、なんでこんなに遠くの星々をつないで星座を作ったのかと前々から疑問である。しかも、どう見ても乙女には見えないし。でも縁のある星だから、一応形を捉えて、その一等星を観察した。乙女座の一等星を和名で「真珠星」というのは興味深い。地上の石の名で天空の星を呼んでいるのがおもしろい。
また、天上には、北斗七星も7つきちんと柄杓のかたちに並んでいた。北斗七星を目印に北極星を探す。小さいころ、北極星は天の釘なのだと思っていた。天の釘が緩むと空が落ちてくるかもしれない。だから、しっかり空を支えていて、と。いまも心のどこかでそう思っているような気がする。


ところで、天体望遠鏡で初めて月を見たときの驚きはちょっと忘れられない。たしか10歳だったと思う。拡大して見た月は、ただのぼこぼこしたコンクリートのようなものだった。でも全然がっかりしなかった。むしろ、なあんだ、こんなものかあ、と、笑ってしまった。望遠鏡のレンズに映った月のざらざらとでこぼこを見たあとでも、目をレンズから離して肉眼で見る月が美しいという事実は何も変わらないということに奇妙な安堵感を感じたことも覚えている。


またいつか、天体望遠鏡で天体観測をしよう。

2010年4月21日

ユウェナリスのことば(後半)

「健全な精神は健全な肉体に宿る」をぐぐってみると、「これは誤訳である」という趣旨のヒットが多数上位に来る。ウィキペディアのユウェナリスの項にもその旨が書かれている。

さて、このことわざ(?)がもともとはどこからきたかというと、古代ローマ時代の詩人ユウェナリスという人の書いた『風刺詩集』(10番目の詩の366段)なのだそうだ。
ユウェナリスという人は、本名をデキムス・ユニウス・ユウェナリス(Decimus Junius Juvenalis, 60−130)といい(英語では通常Juvenalとして知られている)古代ローマ時代の風刺詩人であり弁護士だそうだ。当時、市民が政治に関心を持つとろくなことがないと考えたローマの権力者によって食料を与えられ、娯楽を求めて堕落したローマ市民とその社会を揶揄して 'panem et circenses' (「パンとサーカス」)と表現した人である。

「健全な精神は健全な肉体に宿る」に該当する詩の部分はラテン語で、
Orandum est ut sit mens sana in corpore sano.
であり、
それを英語訳したものは、上のリンクによれば
It is to be prayed that the mind be sound in a sound body.
である。
これをそのまま訳すと、「健やかな身体のうちに精神が健やかであることが願われるべきである。」となる。

ところで、「あのことわざは誤訳である」としているウェブサイトの多くが「ユウェナリスは、堕落したローマ市民の姿を嘆いて『肉体ばかり鍛えてもだめで、健全な肉体には健全な精神も必要なのだ』という意味で言ったのに、日本では正反対の意味にとらえられてきた」といっている(参考URL玉木正之氏ウェブTuyano Blog)のだが、これらの解釈は腑に落ちない。
というのは、『風刺詩集』第十章の一部を読んだだけでも「健全な精神は健全な肉体に宿る」という文句を「健全な肉体を得れば健全な精神が手に入る(だから頑張って体を鍛えよう)」と因果性によって解釈すること自体が論理の飛躍であることは明らかであり、その解釈の反証として誤訳を指摘しても、もとの詩の訳の誤りを正したことにはならないからである。

私はラテン語ができないので、風刺詩集第十章の英語の訳詩を読んで、なるほど、これは「体を鍛えることが心を鍛えることにつながる」というスポ根とはなんの関係もなかった(ひとつスッキリ)、ということは確信できたわけだが、このことわざのそれ以上の解釈はここで打ち止めであった。
しかし、ここで助けになったのが、花房友一という方のホームページの「「健全な精神は健全な肉体に宿る」とは言わなかったユウェナリス」の項。西洋の古典の研究者のウェブサイトで、他の項も大変に面白い。この花房氏が原書を参照し、ユウェナリス第10歌を日本語訳したものは、このことわざの部分に至るまでの文脈がよくわかってとても参考になった。

花房氏は、『風刺詩集』の第十章を訳した上で、この文句について丁寧に検証している。
Orandum est ut sit mens sana in corpore sano. 
を、原文のラテン語を英語に、語順もそのままに直訳すると、
You ought to pray that be a mind healthy in a body healthy.
となるのだそうだ。すると、「宿る」と訳されているのは、単に「~となる」という意味であることが明らかになるという。また、「前後の文脈から考えて、精神と肉体は対照的に取り上げられてはいない」ということは、この日本語訳とほかの英語訳を検索していくつか読んでみてなるほどと思った。
先ほどの氏の項では、ここからが特に興味深かったので少し引用させていただこう。

ラテン語の原文が韻律に制約される詩であることを考え合わせると、原文の単語の in には、精神の健康と身体の健康に何らかの関係があると言っているのではなく、作者が言いたかったことは単に、
You ought to pray that both mind and body be healthy
であり、この格言の真の意味は「心身ともに健康であることを祈るべきである」であるとみるのが適当であることが理解できるのではないか。

うーん、奥が深い。
でも、この詩集が「風刺」であるという性質を考えると、

「『心身ともに健康であること』。願うならこの程度にしておきなさい。これなら誰でも自分の力で達成できるし、それが手に入ったことによって不幸になることもない。しかし、けっしてそれ以上の大きな願いを抱いてはいけない。」(同氏の同じページより)

というのではちょっと優しすぎるような気もするが、どうなのだろう。

最後に、このことわざをいくつか調べても一つもみあたらなかった「健康」ないし「健全」の中身だが、ユウェナリスはその詩の続きで、

「それは死の恐怖からの自由、怒りからの自由、欲望からの自由のことである。」(同上)

と説明しているのだそうだ。スポーツは関係ないどころか、体の具合の善し悪し、人の性質の善し悪しのことですらないのであった。

ところで、「健全な精神は健全な肉体に宿る」という日本のことわざのもとになった英語は、
'A sound mind in a sound body'
だそうである。でも、これは、どうやら、ジョン・ロックがユウェナリスの詩をふまえて述べた言葉であることを付け足しておこう。

"A sound mind in a sound body, is a short, but full description of a happy state in this World: he that has these two, has little more to wish for; and he that wants either of them, will be little the better for anything else. "
-- John Locke (Some Thoughts Concerning Education, 1963, sec.1 による) 

最初の一文は、「健やかなる心は健やかな身体にある、とは、短いけれどもこの世の幸福をいいあらわすのに十分な説明である」という意味になる。(訳はspinovによる)

というわけで、「健全な精神は健全な肉体に宿る」という句は、誤訳というより、原典を無視して英語の相当部分だけ訳し、その解釈が一人歩きしたというのが事実であるようだ。