2010年9月7日

読書の記録

日本行きの飛行機に乗ってから帰国して時差ぼけていた数日間、久々に少し本を読んだ。


Hard Times ディケンズ ペンギン・クラシック
A Delius Companion  クリストファー・レッドウッド編 John Calder, London(読みかけ)
・『タルコフスキー映画』馬場広信 みすず書房
・『くさいはうまい』小泉武夫 文春文庫



ディケンズを読んでいるとヴィクトリアン時代のロンドンにタイムスリップしたような気分になる。石造りの建物の冷えびえとした空気や、通りのほの暗い街灯の下をとぼとぼと歩く野良犬、ぼろを着た子どもたちが遊んでいる路地の様子なんかを、まるで自分もそこにいるかのように肌で感じることができる。もちろん自分が疑似体験しているのは、知識として持っている当時の生活の様子、本の挿絵や当時の絵画、自分が知っている現在のロンドンの街などの情報を総合した想像の世界に過ぎないわけだけど、それでもやはり、私にとっては映画を見ているよりもスリリングで楽しい。『ハードタイムズ』はディケンズの小説には珍しくロンドンを舞台にしていないが、19世紀のイングランドの工業都市に住む人々の様子が生き生きと伝わってくる。 
ところで、ディケンズは性格の悪い人の描き方が唸るほど上手い。英語で読むのは時間がかかるが、がんばって原書で読むとなおさら、登場人物の味わい深いといっていいほどの性悪さが楽しめる。『ハードタイムズ』にも、『クリスマスカロル』の主人公、守銭奴スクルージ爺さんに負けないくらい性格のひねくれた人物が二人登場する。「事実」のみを重んじて自分の子ども達の子どもらしさを奪い、息子と娘の人生を潰してしまう男(Mr. Gradgrind)と、銀行家で会社を経営している男と結婚しようという目論みに失敗して、彼の妻になった人に意地悪を繰り返す、家柄だけが自慢の女(Ms. Sparsit)。二人とも「実際こんな人いるのかね」と苦笑してしまうほど嫌な人物だが、彼らの行動があまりにも克明に描写されているためか、意地悪な場面でもつい笑ってしまう。 


(これは中表紙の写真)
ィーリアスとその仲間の本は、1928年からディーリアスが死ぬまで彼の作品の筆記をつとめたエリック・フェンビィの70歳の誕生日を記念して編纂・出版された。エルガー、トーマス・ビーチャムを始めとする、ディーリアスと親交のあった人々が作曲家とのエピソードを語っている。まだ読みかけだが、ディーリアスを聴きながらゆっくり読みたい一冊。



タルコフスキーの映画についての本は、見たことのある作品についての解説書として読むにはおもしろい。人物の行動や場面がどのようなメタファーとして機能しているかを細かく分析し、一度見ただけではわかりにくい、作品にとって重要な場面について丁寧に解説している。タルコフスキーの思想についても、本人の著作からの引用ではなく、著者独自の視点での説明を試みている。しかし、作品を詳しく観たことのある人を対象に書かれているので、作品を観る前の予習として読むと先入観を刷り込まれてそれに縛られた見方になってしまうかもしれない。




発酵の研究で有名な小泉武夫・東京農大名誉教授の著書。2002年にこの方がNHK人間講座で担当していた「発酵は力なり」という番組は面白かった。世界中の発酵食品を食べて歩いている小泉氏だが、番組では、納豆はかき混ぜればかき混ぜるほど粘りが出て美味しいとか、納豆菌は最強とか、納豆についてことさら熱く語っていたのが印象的だった。
この本は母と妹たちとお昼を食べに行った先のお土産売り場で買って、数時間で読んでしまった。『くさいはうまい』は三章立てになっている。第一章は甘酒、味噌、チーズ、ピクルスなどの発酵食品について、それぞれの成分と作り方についての簡潔な解説。第二章「くさいはうまい」は、著者が世界中で食べた、臭いものについてのエッセイ。これがおもしろい。読んでいて目が痛くなりそうな臭さの魚や、鼻が曲がりそうな果物などを食べたときの話が、臭い食べ物への愛に溢れた語り口で書かれている。野生動物の肉なら何が一番不味いかって狐ほど不味いものはないそうだが、自分が食べた中ではタヌキの肉は泥臭さと尿臭さ(!)の強烈な悪臭がして食べづらかった、しかし昔の人がタヌキ汁といってあの臭い肉を美味しく食べようと工夫したのには感心してしまう、というように、ある食べ物がいかに臭いか、それを人々がどう工夫して美味しく食べているかについて、うんちくたっぷり、ユーモアたっぷりに書いてある。「激烈臭発酵食品」の項は、カナディアン・イヌイットの「キビヤック」という発酵食品のことを書いているのだが、食事前に読むのはおすすめできない。第三章は「におい文化の復権」と題した、哲学者・中村雄二郎との対談。
発酵した幼虫とか何年も寝かせた魚とかを平気で食べるエピソードを読んでいると、食べているものは「うっ」と思うようなものなのに、何故か元気が出てくる。ご本人がくさくてめずらしいものを食べるのを楽しんでいるからだろうか。たとえば、アザラシの皮にアパリアスという海鳥を70〜80羽も詰めたものを穴に埋めて何年も寝かせ、数年後にドロドロに腐ったアザラシの中からその海鳥を取り出して尾羽を抜き、肛門に口をつけて体液を吸い出す「キビヤック」を小泉氏は「極めて美味」「二、三羽食べたらもうあとは止まらない」と言っている。私にとってはほとんどホラーであり、想像しただけで具合が悪くなった。そして、これを目の前に出されたら、本当は自分が食べる自信と勇気がなくて食べられないだけなのに、「こんなものを食べるなんて私には無理」とつい見下したようなことを言ってしまいそうな自分に気がついた。小泉氏は違う。自分の想像を超えた奇妙な食べ物にも、それを食べている土地の人を決して馬鹿にすることなく、むしろその知恵に感心しながら喜んで挑戦している。たぶんこの姿勢が、この人すごい。。。と読者に勇気を与えるのだろう。それにしても、人を馬鹿にするということは、自分に自信がないか自身の価値観を信用できないことの裏返しなのだなあと反省。この他にも、珍奇な食べ物、くさい食べ物を食べた時のエピソードが満載なので、この本は電車の中で読むのは危険かもしれない。小泉氏は、文章でにおいを感じさせることのできる特異な人物だから、大笑いしてしまう危険性と、読んでいるだけで電車の中が臭ってくる可能性と、両方の面から危ない。






4冊とも読み応えがあって楽しめた。気になった方は読んでみてください。

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