2010年6月17日

ブリッジで魂の柱を跨ぐ

チェロの駒と魂柱を替えていただいた。 
妙齢・無職・実家住まい・ささやかな楽しみは庭の二十日大根の成長、という現状においては贅沢とはわかっているけれど、イギリスにいるときから長い間希望していたことだったので、念願かなって本当に嬉しい。 

交換をしてくださったのはとある神職人で、以前一度工房に連れて行ってもらったときに、お願いするならこの方しかないと確信した人であった。 

チェロは、生まれ変わった。もう15年くらいつきあっている楽器で、長所、癖、不具合などよく承知しているつもりだが、先日、目の前で駒と魂柱を替えていただいた後、弓を載せた瞬間に音が鳴ったのにはおどろいた。こんなにいい音が出るとはびっくり。下手の一番の原因が自分の腕の不味さなのはもちろんだが、正直いままで、楽器に限界を感じていた部分もあった。ごめんよ、○○(←楽器の名前)。見た目にもしまりがでて楽器らしくなったのにも重ねてびっくり。 

驚きと喜びで挙動不審になっている私に神職人は、 
「僕は、女の人がチェロを弾くというのはいいなあと思うんだよね。旦那さんが(人生に疲れて)もうどっかへ飛び降りようと思ったときに奥さんのチェロの音が聴こえてきたら、ああ人生にはまだこんなに楽しいことがあると思って(自殺を)思いとどまるかもしれないね。」 
と言ってくださったのだが、いやあ、このシチュエーションってどうなんでしょう!? このような究極の事態そのものはできる限り避けたいですね! とはいえ、(いまはあらゆる意味でこういう場面は想像できないけど)こういう種の力を持ったチェロが弾けたらいいなあとはとても思う。なぜかというと、人の心を強烈に動かし時には行動にも影響を与えるような音楽というのは演奏する人の深い信念から生じるものだと思うし、そうだとすると、チェロをやっていることで究極的には何を目指すのかと問われたとき、人が・とくに自分にとって大切な人が、生きていたくなるような音楽の所作です、と答えるなら、それは極めて健全な精神のあり方であるような気がするから。神の言葉は深い。 

さて、楽器のせいではなく、自分の腕の問題がより明らかになって、工夫すれば違う音が出るようになった。練習がまた楽しくなり、心の傷にもかさぶたができつつあるのを感じる。

2 件のコメント:

  1. ブリッジで跨ぐって「エクソシスト」のスパイダーウォークを想像して
    ちょっと怖い

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  2. それは意外な想像だなあ。確かにあのスパイダーウォークだったら怖いね。

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