2010年7月22日

リラックス?

これまで順調に回復していたと思っていたのに、7月に入って具合が悪くなってしまった。しかも先週は突然高熱を出して、家の人びとを驚かせてしまった。
ずっと悪くないペースで勉強できていたというのに、ここへきて遅れが出てしまったのでかなり焦っている。

4月から診ていただいている先生に、どうにも調子が悪いんですと話をしたところ、「十数年前に入院したときのカルテも見たが、○○さん(私)は自分の心や身体の疲れに気づきにくい人なのではないか」と指摘された。基本的にとても我慢強く、集中力が続くし無理もきくのだが、実は本人が気づかないうちに心身の疲れが蓄積して、突然身体に不具合がおこるタイプなのでは、という。こういう人は、大きなショックを受けても周りが驚くほど早く立ち直ったように見えるし、本人も大丈夫大丈夫と思っているのだが、実は感情の処理がうまくいっているのではない、自分の感情の揺れの程度が自覚できていないのだ、今回も、無理に気持ちを切り替えて別のことに集中し続けてきた結果、イギリス生活の疲れもあって身体のほうがおかしくなって警告を出したとみるべきでしょうという。
最初は「?? そうなの?」という感じだったが、説明をきいているうちに、なるほどそういう見方ができるのかと驚いた。家の人に話したら、妙〜に納得していた。

しかし、本人が自分の疲れに気づきにくいということだから、今後も不測の事態が身体に起こる可能性があるわけだ。おそろしいことである。なんとか予防する方法はないものでしょうか、とお聞きすると、先生は、意識的にリラックスするように、と仰る。
リラックスというのは意識して休む時間をとるということらしい。集中しないで休むというのは私にとっては難しい課題だ。でも、具合を悪くして自分の目的が達成できなかったり周りに迷惑をかけたりしたくはないので、前回の診察の後からは、家の人に「ちょっと休んだほうがいい」とか「疲れてひどい顔をしている」とか言われたときには手を止めるようにした。言われても自覚がないし、集中力が続いているのに休むのは不本意ではあるのだけど、トレーニングと思うようにしよう。ところで、休憩時間に家庭菜園の水やりをしたら、作物全部に順番に丁寧に水をあげているうちにホースがはねて服がびしょびしょになってしまった。がーん。

なぜこんな日記を書いたかというと、自分が実は疲れてることに本当には気がついていなくて身体に負担がかかっている人がほかにもいるんじゃないかと思ったからだ。あれ?私もそうかな、とちらっと思ったらぜひちょっと一休みしてみてください。

2010年6月28日

日々訥々

今後の先行きを考えると動悸がする日々である。 一日のうち、机に向かっている以外は、チェロの練習をして、家事を少ししている。
そういう生活を始めて二ヶ月近くが経った。

なわとびはすっかり止めてしまって、もう最近では、腰が痛くなると床に寝そべって勉強の本を開いている。ずいぶん行儀が悪くなったものだ。今は、ベッドを背もたれに、床に座ってこの日記を書いている。運動不足でハラニクが気になりつつある。
階下で妹がベートーヴェンのピアノソナタ『悲愴』の第2楽章を弾いている。離れた部屋から聞こえてくる明るくて若々しい悲愴は、どこか哀しい。そういう性質の音楽だからなのか、妹に何か悲しいことでもあったのか、私の心持ちの問題なのかは、わからない。

ところで、このベートーヴェンのピアノソナタ第8番ハ短調 op. 13の『悲愴』の第2楽章に私が題名を付けるなら、「内省」としたい。この音楽には、素直に自分の声に耳を傾け、いままでの人生を、自分にがっかりするのではなくこれからに繋がる何かを学ぶためにまっすぐに振り返らせてくれる力があるような気がする。
(ナクソスで18種類聴いてみたが、ブレンデルの鐘の音のような演奏が印象に残った。)
夜はたいして眠れないので、じっと机に向かって勉強を続けているが、時々どうしようもなくやりきれない気持ちになってくる。頭の中でいやな、悲しい想像が巡る。そういうときは、諦めてベッドに入って続きをしながら深呼吸をするか、外の蛙の声を聴く。蛙は夜鳴く。家の外には数種類の蛙がいて、それぞれ違う声で鳴いていることなど、夜起きていなければ知ることはなかっただろう。

朝には日が昇り、世界は明るんでくる。
雨が降っていても、世界は明るくなる。








1週間前に始めた問題集が一冊終わった。記念に日記を書くことにした。少し嬉しい気持ち。