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2012年1月5日

いとなみ

昨年は新たに、かぎ針編み、クロスステッチ、パッチワークに挑戦して、小さいものではあるが十数点を仕上げることができた。棒針編みではセーターを編んでいるが、こちらは未完成。

どれも本や動画を参照しながら見よう見まねでやってみたので、やり方がおかしいところもあるのだろう、×の数が図案と違ったり、編み目の数がわからなくなったり、ファスナーを上下逆につけていたことに出来上がるまで気がつかなかったりと、それぞれの作品に一つ以上はがっくりするミスがあった。それでも、作品として出来上がるとやはり嬉しい。工夫すべき点や今後の課題もはっきりする。そして、下手なりに一個一個完成させていくうちに、学び上達するものである。

刺繍を通して世界について考えるという体験も新鮮であった。刺繍には各国の伝統柄というのが必ずあるが、それぞれの図柄は、その国の人々にとって非常に身近なものを題材にしている。たとえばトナカイやノウサギをモチーフにした北欧のクロスステッチ、スイセンやアイリスの花を丁寧に再現したイギリスの刺繍など。
各国の刺繍図案を眺めたりモチーフについて調べたりしながら考えた:日常生活の中でなじみや愛着のあるもの・美しいと感じられるものを、刺繍でもって日々使うものの中に再現することは、それが存在する幸せや喜びを確かめるための人間の知恵なのだろうか。針を布地に通しながら、地道な作業に人を駆り立てるのは、綺麗なものの姿を手元に残しておきたいという焦燥感と欲望だろうかと思ってみたりもした。「欲」という言葉のイメージは刺繍の世界の可憐さにそぐわないようにも思えるけれど、肩は凝るし目も痛くなる作業が大好きという理由で人は古来から刺繍をしてきたのではないだろう。

刺繍も編み物も針仕事もひとりでする手作業なのだが、手を動かしているとどういうわけか「人のいとなみ」というようなことについて考えてしまう、そうすると孤独な作業ではなくなるのであった。


ところで、今年はまたチェロをやる。
ずっと、チェロが弾きたくてたまらなかった。
以前の日記に、編み目を揃える練習はチェロの練習に通じるところがあると書いたが、今年は手芸から学んだことをチェロの練習にも活かして、新しい方向性を探っていこうと思う。
細かい課題は色々あるが、大まかには、作品の大小に関わらずとにかく仕上げること、その完成を積み重ねることで次に進んでいくことを今年の目標としたい。

勉強と絵にもそれぞれ今年の課題を設けた。
時々、何を信じて生きていったらいいかわからなくなり、すごく混乱したり動揺したりしてしまう。自分の中に諦めと殺伐とした思いがあり、心に嵐が吹き荒れることがある。世の中も非常に不安定で、人々は寄って立つものを失くしてしまったように感じられる。でも理不尽なものに潰されるのは悔しい。自分自身には頼れるように、いろいろやってみよう。

2011年11月18日

らくがき帳

普段、自分の勉強用に、ノートの他にらくがき帳を使っている。らくがき帳は便利だ。安いし、大きさもちょうどいいし、真っ白な紙に思いついたことを書いて、いらなければ破って捨てられる。何より、きちんと書かなければという気持ちの制約が取り払われ、勉強が作業になるのを防いでくれる。

このらくがき帳だが、子どもと接する時にも大変便利なものである。
私はこれまでたくさんの子どもに勉強を教えてきたが、個人指導を行う際に、らくがき帳は万能の仕事道具だと思っている。幼児から高校生まで、授業時の板書のかわりや計算用紙として使えるし、説明を書いたページをそのまま生徒にあげることもできる。筆談もできるし、子どもが退屈すれば、一緒に落書きをしたり、破って紙飛行機を作ったり折り紙をしたりもできる。子どももらくがき帳だと気軽に感じるらしく、絵の苦手な子でも表紙の動物の絵に眉毛を描いたりするし、すごく真面目な子でも、休憩中に横から手を伸ばして私の描いた絵に角を生やしたりしてくる。らくがき帳の懐の深さは、子どもとコミュニケーションをとるのに大変な威力を発揮するのである。

らくがき帳はまた、口でいくら説明してもほとんど理解できない子や、思っていることを喋れない子と接する際にも大変有効である。授業または面談中、ほとんど何もしゃべらずとも、一緒に図や絵を描いたりしているうちに、その子が何らかの方法で、学習すべき内容を理解したということがよくある。そして、さらに重要なことは、子どもが気楽な気持ちで描いた絵や文字から読み取れる情報には、会話や子どもの表情だけでは見過ごしてしまったかもしれないサインが多く含まれているということだ。たとえば、とても素直でいつもニコニコしていて成績も優秀な子が血の滴る人の絵を描いたことがあるが、こういうのは自分がその子を一面的にしか見ていなかったのかもしれないと気づかされるのに十分な情報である。

もちろん、らくがき帳が使いやすいというのは、私の性質に合っているからで、人に無理にすすめするつもりはない。私は絵を描くのも好きだし、自由度の高いものをいろいろな方法で使ってみることも大好きだ。先に述べたように自分の勉強用にもらくがき帳を使っているのである。それに、子どもの細かい感情の機微を言葉や表情から感じ取って、子どもが言ってほしいと思っているであろう言葉をかけるのは苦手だが、らくがき帳を使って子どもに語りかけたり気持ちををほぐしたりすることならできる。だから長年これを仕事道具にしているのである。

このようにらくがき帳にはこれまでにだいぶお世話になってきたが、最近、また新たならくがき帳の凄さを知った。今年に入って、生きづらさを抱えて苦しんでいてその苦しみのために日常生活にも支障のある子どもと接する機会を少しずつ持っているのだが、興味深いことに、ある子どもが描いた絵が私のらくがき帳に残っていると、まったく別の子がおもしろがってその絵にコメントしたり、付け加えをしたりすることがとてもよくあるのだ。それぞれの子どもは年齢も学校も違うし、性格も抱えている問題も違うし、何よりまったく接点はないのに、他の子が描いたものに興味を持つらしい。私は特に意識せずどの子と会うときも同じ一冊のらくがき帳を持っていっていたのだが、これは発見であった。しかも、私は誰が描いたともどんな子かとも言わないが、そもそもそんなことを聞かれたことがほとんどないのだ。彼らは描かれたものに興味を示すのであって、どんな人が描いたのかはとくに重要でないらしい。互いに知らない子どもたちが、一つの絵をどんどん改造したり、セリフを書いたりする。一応、「このらくがき帳に描いた絵は、他の子が見たり書き加えたりすることもあるよ。嫌ならそのページは私が別にとっておくね」と言うようにしているが、こだわりの強い子でさえ、自分の絵に何か付け足されたりしてもほとんど気にならないようだ。怒るどころかむしろ喜ぶことも多い。ちなみに私の描いた力作ムーミンは、数人の子の手を経て、長いしっぽが生え牙が生え眉毛が生え目が血走ってユーモラスな怪物になってしまった。というわけで、あまりに残酷な内容や手記のようなものが書かれていればもちろん切り取って別にしておくが、互いに知らぬ子同士が一種のコミュニケーションをとっているのが興味深く、最近では、落書きやイラストのようなのはむしろ残しておくようにしている。

やはり同じ子ども同士、どこかの子が自分と同じように生きづらさを抱えながらもこうやって落書きしているということに、何か安心を覚えるのかもしれない。

2011年9月6日

『マリー・キュリーが考えたこと』

以前の日記で原発関連図書のリストにあげた、高木仁三郎著『プルトニウムの恐怖』について、 

『決して感情的に書いているわけではないのに、この人がプルトニウムのおそろしさを心底知っていること、それを平和利用という名目で利用することのリスクを一人ひとりに考えてほしいと願っていることが、しんしんと伝わってくるのです。こういう人たちの言葉ににじみでている、人間としての優しさと勇気と専門家としての使命感が、私のような素人にも、もっとこの問題について勉強しなくてはと思わせてくれているような気がします。』 

と書いた。この本は、3.11直後に古本屋さんで題名だけで買った(店外に置かれたスチール棚の一番下の段で砂埃をかぶっていた。105円だった)ものだが、この著者とこの著書に巡り会えたことは私にとって幸運であった。原発問題についての図書はいまや雨後の筍の如く大量に出版されいて、その中のごく一部の本しか読んではいないが、おすすめを一冊、と言われれば『プルトニウムの恐怖』をまず挙げたい。今年読んだ本の中では「心底考えさせられた本」第一位、「これからも折に触れて読み返したい本」第一位である。 

…とこのように大絶賛している高木仁三郎氏の『プルトニウムの恐怖』だけど、さっき読み終えた氏の別の著書もまた、味わい深いものであった。 
それは、『マリー・キュリーが考えたこと』という本で、1992年に岩波ジュニアから出版されたもの。 

これは、いわゆる子ども向け偉人伝『キュリー夫人』とは毛色の違う本で、伝記部分もあるのだが、あくまで高木氏の視点からみた科学者マリー・キュリーを描いているところが特徴的である。 

本の構成も変わっている。第一部では、ポーランドに産まれた彼女の40歳までの人生の軌跡を、時代背景を踏まえつつ、家族や最愛の夫ピエール、娘たちとの細やかな愛情のやり取りに焦点を当てながら描き、第二部では、「もし自分が天国のマリー・キュリーと対話ができたら」という設定で、高木氏の想像による(!)二人の対話を書いている。 

岩波ジュニアから出版されていることからも明らかなように、この本は子ども向けに書かれたものであるが、優れているのは、「やっぱ天才は私なんかとは違うわー」とは読者に思わせないところだと思う。「こんなに天才で頭の良い科学者がいたんだよ、彼女はこんなに偉大だったんだよ」という書き方ではなく、むしろ、マリー・キュリーという人が、輝かしい功績の陰で多くの苦しみを抱えながらも(19世紀後半にポーランドに産まれたことからして苦難の一部は想像されるが、それだけでなく、パリに行ってからも、夫を早くに亡くす、ノーベル賞を得てからも様々な嫉妬や批判を受けるなど数々の辛い思いをしている。また、放射能のせいで身体の不調にも生涯悩まされていたそうだ)自然や自分の周りの人々を愛し、希望を持って強く生きた一人の人間であったということを強く感じさせる語り口になっているのだ。高木仁三郎という人は、マリー・キュリーに心酔していたようで、ご自身の科学者としての存在意義を考えるにあたって、彼女の生き方に随分影響されるところがあったようだ。そして、第2部では、大胆にも、自分が天国のマリーと話ができたら、という設定で、想像上の対話をしている。対話の中で、高木氏は、ピエール・キュリーのノーベル賞受賞講演の一部分を何度も引用し、その言葉について、現代(1900年代後半)の科学技術のあり方について、マリーに多くの質問を投げかけている。 

その言葉を引用してみる。 
「犯罪人の手にはいれば、ラジウムは、きわめて危険な物ともなりかねません。そのことに関連して、われわれは、いったい人間が自然の秘密を知ることによって利益があるのであろうか、いったい人間は自然の秘密を知って善用することができるほど成熟しているのであろうか、あるいはまた、このようなことを知ることは人間に有害なのではあるまいかと、いちおう疑ってみることができます。ノーベルの諸発見こそは、この問題にとってもってこいの例であります。すなわち強力な爆薬は人間に感嘆すべき大事業を可能ならしめたのでありました。一方これらの爆薬は、諸国民を戦争に引きずり込むような犯罪者の手にかかれば、恐ろしい破壊の手段ともなるのであります。がわたしはノーベルと同じように、人間は新しい発見から、悪よりも、むしろより多くの善を引き出すであろうと信じる者のひとりであります」(マリー・キュリー著『ピエル・キュリー伝』、高木仁三郎著『マリー・キュリーが考えたこと』130ページ) 

「いったい人間は自然の秘密を知って善用することができるほど成熟しているのであろうか」という問いは、高木氏が何度となく自分自身に問いかけてきたものなのであろう。もちろんこの第2部は高木氏の想像であり、そのことははっきり断ってあるが、ヒロシマ・ナガサキ、チェルノブイリ、その他科学技術(とくに核の技術)の利用によって地球の生物に破滅的な影響を及ぼした事項について、マリーと対話をしながら、高木氏はこの根源的な問いへの答えを探そうとする。天国のマリーは、科学技術が地球の生命を脅かすのに使われている20世紀後半の世界を憂いていて、「アインシュタインも、オットー・ハーンら他の科学者も、天国でいまも苦しんでいるのです」と語る。熱が入ったところは、マリーのせりふという設定で書かれているとはいえ、もはや独り語りのようになっているが(そこがまたいい!)、少年少女にもぜひ科学技術の利用について考えてほしいと考えている氏の深い思いが伝わってくる。 

読んでみようと思う方がいるかもしれないので、これ以上は書かないが、この対話の中の、いまや「X(エックス)がちがってきた」という部分は、『プルトニウムの恐怖』にまっすぐに通じる高木氏の主張の根本となるところと思われる。エックスというのは、レントゲンを発見したレントゲンが、謎に満ちたその光に与えた名前である。「科学技術が高度に発展した現在、我々は、自然の秘密を探ることだけではすまなくなっている。」と彼は書いている。ではいま、科学者が、いや、我々地球に住む人一人ひとりが探っていかなくてはいけないエックスとは…? 

とても美しく、読みやすい文章で書かれています。おすすめです。

2010年12月9日

常に身近に在るが「日常」ではない、でも「現実」である音楽

Jeno JandoというピアニストがNAXOSから出している、シューベルトのアムプロムプチュをよく聴いている。この人の、内向的で、一人だけの輝く世界に限りない安寧を見いだしているような演奏(でも達観しているようなところもある)は、私が作曲家シューベルトの人物像として抱いている印象と重なるということもあって、いつ聴いても心が安らぐ。淡々として無駄な飾り気や重厚さがまったくなく、それでいて音楽はあくまでも人間の所作であることをしみじみと感じる、ものすごく好みの演奏である。特にOp. 90の第1番と第3番が良い。

演奏家の熱い思いを大げさな動作や重厚さとして醸し出した音楽は嫌いというのは、まあ私個人の好みの問題かもしれないが、「音楽はあくまでも人間の所作であることをしみじみと感じる」音楽については、この間から少し深く考えている。

少し前のことになるが、ある人が弾いたバッハのチェロ無伴奏組曲第2番を聴いた。私はそれまで、無伴奏はバッハの楽曲のなかでも情緒的で、他のオルガン曲等とは毛色の違う楽曲なのかと思っていたが、それは随分な偏見だったようだ。今まで聴いてきた無伴奏が、バッハの音楽からは離れた情緒的解釈を主体にした演奏だったためかもしれない。というのは、無伴奏のしくみやからくりを丁寧に解きほぐし、そこに自分の解釈を加えたものを見せてもらった時に、チェロの後ろでオルガンが鳴っているような音の層と、動く歩道に身体が引っ張られるかのような抗いがたい牽引力を体感したのだった。そして、無伴奏はバッハの例外作などではなく、パルティータやインヴェンションなどのクラヴィーア曲や他のミサ曲とも繋がる構造やからくりを持っていることが「現実として」感じられたのだった。それが具体的に何なのかはそのうち自分で調べなくてはいけないのだが、ともあれ、とても面白い体験だった。

先の体験の何が面白かったのかについて考えながら、手元にあるフルトヴェングラーの『音と言葉』を読み返していたのだが、ロマン派についての記述の中に、そのこたえの一つかもしれないと思う箇所があった。
それはこの章の冒頭の、

『完成された芸術作品が偉大であるというのは、それは情感されたもの、思索し、直観し、意欲されたものに形体を与えるからです。ここで形体と言うのは、その作品自体の中に静止している現実を指していっているのです。』(フルトヴェングラー『音と言葉』新潮文庫、98ページ)

という部分である。これは、(別にロマン派の音楽に限らず)完成された芸術作品を演奏という形でリプレゼンテーションする演奏家についてもいえることなのではないかと思う。思うに、私が面白く感じるのは、シューベルトのアムプロムプチュも、バッハの無伴奏も、演奏家の思惑通りというよりは、作曲家寄りの解釈の中にある「静止した現実」を演奏家という別の人間を通してみることにわくわくしたからではないか。演奏している人がどう感じているのかわからないが、他の人間の作品を別の人間がここまで理解して自分の言葉で再現できるというのは不思議だ。以前、こちらの日記で「音楽の向こうにある世界」について書いた時とは別のかたちで、芸術って、人間ってすごいなあと感動したのであった。

バッハの無伴奏では、作曲者と同じように、演奏者も調べたこと、考えたこと、感じたこと、そして感情も含めた現実に、形体を与える力が必要なんだなあということを、聴き手であるこちらも現実のものとして感じた。
ちょっとまとまりがなくなってしまったが、貴重な体験だったので、考えたことをこのウェブ日記にも載せることにした。






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フルトヴェングラーのロマン派についての記述の中には、また別の興味深い部分がある。

フルトヴェングラーは、「ロマン主義」とは、現実を直視することなしに夢と錯覚(思いこみといったほうが正確だと思うが)の世界を現実と思おうとする精神的態度であり、それは拒否すべきものであるとしている。しかし、実はこの意味でのロマン主義は、一般にロマン派と呼ばれる人々にはむしろあまり見られない傾向なのだという。ロマン派と呼ばれる人々の真の芸術作品には、実のところ、人々が「ロマン派」と呼びフルトヴェングラーからすれば「逃げ」である、こういう姿勢はない。なぜなら、ある作品が真の芸術作品である以上、ロマン主義一辺倒であるわけがない(それでは形体を与えるべきものの要求を満たすことなどできようがない)し、同時にそれは、偉大な芸術作品である以上、ロマン主義から逸脱するものでもない(芸術とは、『生命の象徴としてのみその意味と価値を持つ』ものであるから)のだから。

『現実から逃亡しようというこの種の傾向は、いわゆるロマン派と呼ばれている人々においてみられることははるかに少なく、むしろ彼らの敵手であり、およそロマン派と名のつくものでありさえすれば、目の敵にしてこれを引き下げることに飽くことを知らぬという人々の側にこそ多く見出されます。すなわち、この技術化された時代の一つの出来事の一片が、「機動的なるもの」が、生命の全体であると思っている人々、およそまた愛情、人間的温かみ、充溢、官能、限りない躍動、と呼ばれるもの一切に対立して自己を閉ざし、それらを悪辣な仇敵であるかのように怖れる人々こそ、ーーー今日は真の意味においてロマン派と呼ばれるべきなのです。(中略)非創造的な、知性的錯覚の世界の中へ逃亡する人々こそ、ロマン派なのです。』(同、101ページ)

これは鋭く重要な指摘であると思う。ロマン主義の音楽は現実的な葛藤を抱えているのだ。「およそロマン派と名のつくものでありさえすれば、目の敵にしてこれを引き下げることに飽くことを知らぬという人々」と並んで、「シューマンはロマン派だから」といって、その楽曲のなかの現実を捉えようとすることなく、ただただ情熱と愛をこめて歌い上げようとする演奏家もまた、フルトヴェングラーには痛烈に批判されそうである。

2010年11月30日

原稿用紙

昨日、祖父母の家に行ってきた。
電車に乗ってふた駅目から雪が舞い出した。初雪だ。


このところ、夜には冬の星が美しい。オリオン座、おおいぬ座のシリウスなどがくっきりと見える。一昨日はプレアデス星団の星も4つ見えた。自転車をこいでいても、星が遠い天で鮮やかに輝いているのが気になって、上を見上げてしまう。冬の星がここまで澄んで見えるということは、もう雪が降ってもおかしくはないのだったろう。気がつかなかった。


祖父が、時々二階のものを整理しているようだ。何か思いついたものがあるととっておいて、私にくれる。昨日は原稿用紙を貰った。これからもたくさん物語を書くようにと言って。昔から、私が何かものを書くことに一番関心を示してくれたのは、祖父だった。いままでも外に出たものは祖母と一緒に必ず読んでくれた。いただいた原稿用紙には、13×20ます、29×22ます、26×10ますの3種類があった。20×20ますにすれば数えやすくていいのにと思うが、何か編集の都合などがあるのだろうか。13×20ますのものは黄ばんでいて、わら半紙の手触りが懐かしかった。わら半紙というと、高校の時の印刷室を思い出す。用務員さんが施錠にくるまで、副部長だったKと学校新聞を作っていた印刷室。インクで手が黒くなると洗ってもなかなか落ちないし、狭い部屋は紙とドラムカートリッジのにおいでくさかったけど、今でもすごくいい思い出だ。


祖父には、私はパソコンもあるし、何より今は物語を書けそうにないからいらない、と言おうかと思ったが、まとめて封筒に入れてくれた原稿用紙の束がやけに重く感じられて、言えなかった。おじいちゃんが何か書いたら、と言ったのだが、もう使い切れないからと言われてしまった。


貰ってきたのだから使おうと思うのだけれど、ただ途方に暮れている。

2010年10月21日

Autumn Leaves (by Charles Dickens)

この街に引っ越してきて、2週間が過ぎた。この街、といっても、街のことは何も知らない。アパートから駅までの道と、スーパーマーケットまでの道を歩いて覚えたくらいだ。スーパーマーケットへ行く途中、河を一つ越えたところに森がある。森といっても、鬱蒼と木々が茂っているのではなく、森と呼ばれる敷地を杉やケヤキの木が取り囲んだ公園である。敷地の中には、図書館や古い建物やよく手入れされた芝生があり、あずまやの隣の池には、アーチ型の木の橋がかかっている。そこには一度散歩に行った。とても天気のいい穏やかな暖かい日だった。池のまわりで鳩をたくさん見かけた。子どもたちが撒くお菓子のくずに寄ってくる鳩を見ていたら、一瞬自分がイギリスにいるような錯覚を覚えた。天気のいい日も曇りの日も、ロンドンにも、グラスゴーにもオックスフォードにも鳩がいた。日本の実家には鳩はいないし、日本でとくに鳩に関する思い出というものもない。意識したことはなかったけれど、私にとって、鳩はイギリスの記憶の一つになっていたようだ。鳩のいるイギリスの空間に一瞬引き戻されて、懐かしいとは思わなかった。現在自分がなじみのない日本のある街にいることがより強く実感されただけだ。そして、ここにいることが正しいことなのか、間違ったことなのか、今の私には判断ができない。

しばらく家を出て一人になりたいと前から思っていたので、久しぶりの一人暮らしをすることになったら、部屋の棚にはあの絵を飾ろう、あの料理をしよう、おやつにはあれを作ろう、美味しいコーヒーのお店を見つけて豆を買おう、といろいろと思い描いていたのだが、実際には、引っ越してきた日に予定通りの場所に絵を置いた以外は何もしていない。実家にいる時よりもごはんとお茶の時間が減って、勉強時間が増えた。引っ越してたった2週間なのに、ちょっと体重が減って皮膚が少しかさかさする。実家の母のごはんはやはり栄養のバランスが良いのだろう。

ところで、どこに住んでも、自分の部屋はいつも似ていると思う。大学の時に一人暮らしをしていた8畳の部屋も、何度か引っ越したイギリスの部屋も最後に住んでいた家も、そして今の部屋も、間取りやつくりは随分違うのに、どこか雰囲気が似ている。同じ人が住んでいるのだから当然なのかもしれないし、食器や衣類や、必ず持ってきている本が同じだからということもあるかもしれないけれど、多分それ以上に、10年間前も今も、自分の居場所として求めるものが変わっていないのだと思う。それは、絶対的に私の身体と精神を守り、自分の基点になる場所ということだ。「空間」(居住する空間、音楽のある空間、絵のある空間、子どものいる空間 etc...)というものを意識するようになった大学の3年以降、私は、自分が暮らす空間についても考え、こだわりと信念を持つようになった。そしてその実現のために多くの注意を払ってきた。私のこだわりと信念というのは、大概は極めて些末なことであることが多いが、部屋についてのそれは、実現されていなければ私は混乱してしまうので粗末にはできないのだった。

今は朝の6時半。あと1時間くらいしたら燃えるごみの収集車が大きな音でやってくるだろう。毎日は淡々と過ぎていく。

動画は、ディケンズの詩 ”Autumn Leaves” の朗読。
http://www.youtube.com/watch?v=5O7OcMUagYY

















*この日記にははっきりしたトピックはない。オチも終わりもない。昨日2冊問題集が終わったので、記念に何か書くことにした。うち一冊はすごく苦手な分野のものだった。ほっとした気持ち。

2010年9月7日

読書の記録

日本行きの飛行機に乗ってから帰国して時差ぼけていた数日間、久々に少し本を読んだ。


Hard Times ディケンズ ペンギン・クラシック
A Delius Companion  クリストファー・レッドウッド編 John Calder, London(読みかけ)
・『タルコフスキー映画』馬場広信 みすず書房
・『くさいはうまい』小泉武夫 文春文庫



ディケンズを読んでいるとヴィクトリアン時代のロンドンにタイムスリップしたような気分になる。石造りの建物の冷えびえとした空気や、通りのほの暗い街灯の下をとぼとぼと歩く野良犬、ぼろを着た子どもたちが遊んでいる路地の様子なんかを、まるで自分もそこにいるかのように肌で感じることができる。もちろん自分が疑似体験しているのは、知識として持っている当時の生活の様子、本の挿絵や当時の絵画、自分が知っている現在のロンドンの街などの情報を総合した想像の世界に過ぎないわけだけど、それでもやはり、私にとっては映画を見ているよりもスリリングで楽しい。『ハードタイムズ』はディケンズの小説には珍しくロンドンを舞台にしていないが、19世紀のイングランドの工業都市に住む人々の様子が生き生きと伝わってくる。 
ところで、ディケンズは性格の悪い人の描き方が唸るほど上手い。英語で読むのは時間がかかるが、がんばって原書で読むとなおさら、登場人物の味わい深いといっていいほどの性悪さが楽しめる。『ハードタイムズ』にも、『クリスマスカロル』の主人公、守銭奴スクルージ爺さんに負けないくらい性格のひねくれた人物が二人登場する。「事実」のみを重んじて自分の子ども達の子どもらしさを奪い、息子と娘の人生を潰してしまう男(Mr. Gradgrind)と、銀行家で会社を経営している男と結婚しようという目論みに失敗して、彼の妻になった人に意地悪を繰り返す、家柄だけが自慢の女(Ms. Sparsit)。二人とも「実際こんな人いるのかね」と苦笑してしまうほど嫌な人物だが、彼らの行動があまりにも克明に描写されているためか、意地悪な場面でもつい笑ってしまう。 


(これは中表紙の写真)
ィーリアスとその仲間の本は、1928年からディーリアスが死ぬまで彼の作品の筆記をつとめたエリック・フェンビィの70歳の誕生日を記念して編纂・出版された。エルガー、トーマス・ビーチャムを始めとする、ディーリアスと親交のあった人々が作曲家とのエピソードを語っている。まだ読みかけだが、ディーリアスを聴きながらゆっくり読みたい一冊。



タルコフスキーの映画についての本は、見たことのある作品についての解説書として読むにはおもしろい。人物の行動や場面がどのようなメタファーとして機能しているかを細かく分析し、一度見ただけではわかりにくい、作品にとって重要な場面について丁寧に解説している。タルコフスキーの思想についても、本人の著作からの引用ではなく、著者独自の視点での説明を試みている。しかし、作品を詳しく観たことのある人を対象に書かれているので、作品を観る前の予習として読むと先入観を刷り込まれてそれに縛られた見方になってしまうかもしれない。




発酵の研究で有名な小泉武夫・東京農大名誉教授の著書。2002年にこの方がNHK人間講座で担当していた「発酵は力なり」という番組は面白かった。世界中の発酵食品を食べて歩いている小泉氏だが、番組では、納豆はかき混ぜればかき混ぜるほど粘りが出て美味しいとか、納豆菌は最強とか、納豆についてことさら熱く語っていたのが印象的だった。
この本は母と妹たちとお昼を食べに行った先のお土産売り場で買って、数時間で読んでしまった。『くさいはうまい』は三章立てになっている。第一章は甘酒、味噌、チーズ、ピクルスなどの発酵食品について、それぞれの成分と作り方についての簡潔な解説。第二章「くさいはうまい」は、著者が世界中で食べた、臭いものについてのエッセイ。これがおもしろい。読んでいて目が痛くなりそうな臭さの魚や、鼻が曲がりそうな果物などを食べたときの話が、臭い食べ物への愛に溢れた語り口で書かれている。野生動物の肉なら何が一番不味いかって狐ほど不味いものはないそうだが、自分が食べた中ではタヌキの肉は泥臭さと尿臭さ(!)の強烈な悪臭がして食べづらかった、しかし昔の人がタヌキ汁といってあの臭い肉を美味しく食べようと工夫したのには感心してしまう、というように、ある食べ物がいかに臭いか、それを人々がどう工夫して美味しく食べているかについて、うんちくたっぷり、ユーモアたっぷりに書いてある。「激烈臭発酵食品」の項は、カナディアン・イヌイットの「キビヤック」という発酵食品のことを書いているのだが、食事前に読むのはおすすめできない。第三章は「におい文化の復権」と題した、哲学者・中村雄二郎との対談。
発酵した幼虫とか何年も寝かせた魚とかを平気で食べるエピソードを読んでいると、食べているものは「うっ」と思うようなものなのに、何故か元気が出てくる。ご本人がくさくてめずらしいものを食べるのを楽しんでいるからだろうか。たとえば、アザラシの皮にアパリアスという海鳥を70〜80羽も詰めたものを穴に埋めて何年も寝かせ、数年後にドロドロに腐ったアザラシの中からその海鳥を取り出して尾羽を抜き、肛門に口をつけて体液を吸い出す「キビヤック」を小泉氏は「極めて美味」「二、三羽食べたらもうあとは止まらない」と言っている。私にとってはほとんどホラーであり、想像しただけで具合が悪くなった。そして、これを目の前に出されたら、本当は自分が食べる自信と勇気がなくて食べられないだけなのに、「こんなものを食べるなんて私には無理」とつい見下したようなことを言ってしまいそうな自分に気がついた。小泉氏は違う。自分の想像を超えた奇妙な食べ物にも、それを食べている土地の人を決して馬鹿にすることなく、むしろその知恵に感心しながら喜んで挑戦している。たぶんこの姿勢が、この人すごい。。。と読者に勇気を与えるのだろう。それにしても、人を馬鹿にするということは、自分に自信がないか自身の価値観を信用できないことの裏返しなのだなあと反省。この他にも、珍奇な食べ物、くさい食べ物を食べた時のエピソードが満載なので、この本は電車の中で読むのは危険かもしれない。小泉氏は、文章でにおいを感じさせることのできる特異な人物だから、大笑いしてしまう危険性と、読んでいるだけで電車の中が臭ってくる可能性と、両方の面から危ない。






4冊とも読み応えがあって楽しめた。気になった方は読んでみてください。

2010年7月22日

リラックス?

これまで順調に回復していたと思っていたのに、7月に入って具合が悪くなってしまった。しかも先週は突然高熱を出して、家の人びとを驚かせてしまった。
ずっと悪くないペースで勉強できていたというのに、ここへきて遅れが出てしまったのでかなり焦っている。

4月から診ていただいている先生に、どうにも調子が悪いんですと話をしたところ、「十数年前に入院したときのカルテも見たが、○○さん(私)は自分の心や身体の疲れに気づきにくい人なのではないか」と指摘された。基本的にとても我慢強く、集中力が続くし無理もきくのだが、実は本人が気づかないうちに心身の疲れが蓄積して、突然身体に不具合がおこるタイプなのでは、という。こういう人は、大きなショックを受けても周りが驚くほど早く立ち直ったように見えるし、本人も大丈夫大丈夫と思っているのだが、実は感情の処理がうまくいっているのではない、自分の感情の揺れの程度が自覚できていないのだ、今回も、無理に気持ちを切り替えて別のことに集中し続けてきた結果、イギリス生活の疲れもあって身体のほうがおかしくなって警告を出したとみるべきでしょうという。
最初は「?? そうなの?」という感じだったが、説明をきいているうちに、なるほどそういう見方ができるのかと驚いた。家の人に話したら、妙〜に納得していた。

しかし、本人が自分の疲れに気づきにくいということだから、今後も不測の事態が身体に起こる可能性があるわけだ。おそろしいことである。なんとか予防する方法はないものでしょうか、とお聞きすると、先生は、意識的にリラックスするように、と仰る。
リラックスというのは意識して休む時間をとるということらしい。集中しないで休むというのは私にとっては難しい課題だ。でも、具合を悪くして自分の目的が達成できなかったり周りに迷惑をかけたりしたくはないので、前回の診察の後からは、家の人に「ちょっと休んだほうがいい」とか「疲れてひどい顔をしている」とか言われたときには手を止めるようにした。言われても自覚がないし、集中力が続いているのに休むのは不本意ではあるのだけど、トレーニングと思うようにしよう。ところで、休憩時間に家庭菜園の水やりをしたら、作物全部に順番に丁寧に水をあげているうちにホースがはねて服がびしょびしょになってしまった。がーん。

なぜこんな日記を書いたかというと、自分が実は疲れてることに本当には気がついていなくて身体に負担がかかっている人がほかにもいるんじゃないかと思ったからだ。あれ?私もそうかな、とちらっと思ったらぜひちょっと一休みしてみてください。

2010年6月17日

ブリッジで魂の柱を跨ぐ

チェロの駒と魂柱を替えていただいた。 
妙齢・無職・実家住まい・ささやかな楽しみは庭の二十日大根の成長、という現状においては贅沢とはわかっているけれど、イギリスにいるときから長い間希望していたことだったので、念願かなって本当に嬉しい。 

交換をしてくださったのはとある神職人で、以前一度工房に連れて行ってもらったときに、お願いするならこの方しかないと確信した人であった。 

チェロは、生まれ変わった。もう15年くらいつきあっている楽器で、長所、癖、不具合などよく承知しているつもりだが、先日、目の前で駒と魂柱を替えていただいた後、弓を載せた瞬間に音が鳴ったのにはおどろいた。こんなにいい音が出るとはびっくり。下手の一番の原因が自分の腕の不味さなのはもちろんだが、正直いままで、楽器に限界を感じていた部分もあった。ごめんよ、○○(←楽器の名前)。見た目にもしまりがでて楽器らしくなったのにも重ねてびっくり。 

驚きと喜びで挙動不審になっている私に神職人は、 
「僕は、女の人がチェロを弾くというのはいいなあと思うんだよね。旦那さんが(人生に疲れて)もうどっかへ飛び降りようと思ったときに奥さんのチェロの音が聴こえてきたら、ああ人生にはまだこんなに楽しいことがあると思って(自殺を)思いとどまるかもしれないね。」 
と言ってくださったのだが、いやあ、このシチュエーションってどうなんでしょう!? このような究極の事態そのものはできる限り避けたいですね! とはいえ、(いまはあらゆる意味でこういう場面は想像できないけど)こういう種の力を持ったチェロが弾けたらいいなあとはとても思う。なぜかというと、人の心を強烈に動かし時には行動にも影響を与えるような音楽というのは演奏する人の深い信念から生じるものだと思うし、そうだとすると、チェロをやっていることで究極的には何を目指すのかと問われたとき、人が・とくに自分にとって大切な人が、生きていたくなるような音楽の所作です、と答えるなら、それは極めて健全な精神のあり方であるような気がするから。神の言葉は深い。 

さて、楽器のせいではなく、自分の腕の問題がより明らかになって、工夫すれば違う音が出るようになった。練習がまた楽しくなり、心の傷にもかさぶたができつつあるのを感じる。

2010年5月23日

賀茂真淵『にひまなび』

江戸時代の国学者、賀茂真淵の著『にひまなび』より。

今日、お茶摘みをして日差しと植物の生命力を強く感じたせいか、夜にこれを読んだときとても心に響くものがあったので本文と現代語訳を載せることにした。

【昼間の感想】
真っ直ぐに伸びたお茶の芽を手で摘み取っていると、「気高く真っ直ぐなもののうちにある優雅さ、雄大さ」を手応えあるものとして感じる。そのお茶の芽についてかこうと思えば、その見た目の綺麗さだけを並べたきれいごとだけではとても足りない。強烈な日差しや騒音ともいえる大量の雨について、地面から伸びている草との戦いについて思いめぐらすことなしに、そのやわらかい新芽の気高い生命力を表現するすべは(文章でも、絵でも、音楽であっても)ない。(しかし、実際にどう表現するかは別の話だ。)
人は、時々でも何かの生命に触れて、清潔で見た目がよい綺麗さはなくとも、そこに確かにある気高さや雄大さを直接感じる必要があると思う。そういうものに触れたときに、人はそれを「いとおしい」と感じるのではないか。



現代語訳は、夏古彩佑歌編によるもの。
本文、現代語訳ともに、一部、漢字をひらがなに直し、言葉遣いをより現代語に近いものに変えた。



【にひまなび】

いにしへの歌は調しらべを専らとせり。うたふ物なればなり。その調の大よそは、のどにも、あきらにも、さやに(*清澄に)も、遠をくらにも、己がじし得たるまにまになる物の、貫くに、高く直き心をもてす。且つその高き中に雅びあり。直き中に雄々しき心はあるなり。何ぞといへば、万づの物の父母なる天地は春夏秋冬をなしぬ。そが中に生まるゝ物、こを分ち得るからに、うたひ出づる歌の調もしか也。また春と夏と交り、秋と冬と交れるがごと、彼れ是れを兼ねたるも有りて、種々なれど、各それに付けつゝ宜しき調は有るめり。然ればいにしへの事を知る上に、今その調の状さまをも見るに、大和國は丈夫國ますらをのくににして、古は女をみなも丈夫に習へり。故(かれ)、万葉集の歌は、凡そ丈夫の手振り(*流儀)なり。山背國は手弱女國(たをやめくに)にして、丈夫も手弱女を習ひぬ。故、古今歌集の歌は、專ら手弱女の姿なり。仍りてかの古今歌集に、六人の歌を判る(ことわる=評価する)に、のどかにさやかなるを、姿を得たりとし、強く堅きを鄙びたりと云へるは、その國、その時の姿を姿として、広くいにしへをかへり見ざるものなり。物は四つの時のさまざま有るなるを、しかのみ判らば、只春の長閑なるをのみ取りて、夏冬を捨て、手弱女ぶりによりて、丈夫すさみを忌むに似たり。そもそも上つ御代御代、その大和の國に宮敷きましゝ時は、おもてには建たけき御稜威(みいづ=威勢)をもて、内には寛ひろき和(にごみ)をなして、天の下をまつろへましゝからに、いや栄えに栄えまし、民もひたぶるに上を貴みて、己れも直く伝はれりしを、山背の國に遷しましゝゆ、かしこき御稜威のやゝ劣りに劣り給ひ、民も彼れにつき是れにおもねりて、心邪(よこしま)に成り行きにしは、何ぞの故と思ふらんや。其の丈夫の道を用ゐ給はず、手弱女の姿をうるはしむ國ぶりと成り、それが上に唐の國ぶり行はれて、民、上を畏まず、奸よこす(*非道を行う・中傷する)心の出できし故ぞ。然れば、春の長閑に、夏のかしこく、秋のいち早く、冬の潜まれる、種々無くては、よろづ足らはざるなり。古今歌集出でてよりは、やはらびたるを歌といふと覚えて、雄々しく強きを賤しとするは、甚じき(いみじき)僻事なり。これらの心を知らんには、万葉集を常に見よ。且つ我が歌もそれに似ばやと思ひて、年月に(*永年)詠む程に、其の調も心も、心に染みぬべし。さるが中に万葉は撰みぬる巻は少なくて、多くは家々の歌集なれば、悪しき歌、悪しき言もあり。いで今摸かたとし学ばんには、よきをとるべし。そのよきを撰むは難かれど、既にいへる調を思ひてとるべし。また本はいと愛でたくて、末悪しきもあり。そは本を学びて末を捨つべし。是れを善くとれるは、鎌倉のおほまうち君(*源実朝)なり。その歌どもを多く見て思へ。しかすがに(*反面)、又古今歌集を見るべし。こは凡そ女の姿なる中に、詠み人知らえぬ歌には、奈良の朝(みかど)の歌もあり。且つそを後の言して唱へ変へたるも有り。今の都なるも、始め三嗣ばかりの御代は、万づいにしへの手振ありて、歌もなかばいにしへを兼ねたり。よりて此の集には、詠み人知らずてふにこそ勝れたる歌は多けれ。それより後なる中には、細かに巧みて心深げなるを去るべし。本撰める物といへど、いにしへにかへらんとする時は、などか更に撰みの有らざらん。斯く意得(こころえ)たる後には、後撰、拾遺の歌集、古今六帖、古き物語書ぶみらをも見よ。かくて立かへり、古事記、日本紀を読み、続日本紀の宣命、延喜式の祝詞の巻などを善く見ば、歌のみかは、自おのづから古き樣の文をも綴らるべきなり。



【現代語訳】

古代の和歌は、「調子」をもっぱら第一とする。声に出して歌うものだからである。その調べのおおよそのところを述べれば、穏やかにも、明瞭にも、鮮やかにも、ほの暗くも、それぞれ思い思いの調子で詠んでもかまわないものなのであるが、一貫しているのは、気高く真っ直ぐな心である。またその気高さの中に優雅さがある。まっすぐな中に雄大な感じがあるのである。どういうことかというと、万物の生成の根源である天地は、春夏秋冬という季節の違いを創造した。天地の中に生まれるものが、季節を分ち、作ったが故に、歌い出る歌もまた同様である。また春と夏とが交差し、秋と冬とが交差するように、(もともとが気高く真っ直ぐな心で、その中からさまざまな調べが生まれるのであり)、あれこれの調子をかねているものもあってさまざまであるが、おのおのそれぞれにまあまあよい調べがあるようだ。したがって、古代のことを知る上では、いまその調べのさまをも見るのだが、大和の国は勇ましく強く立派な男性的な国であって、古代は女性も男性風にまねならっていた。ゆえに、『万葉集』の歌は、だいたい男性的な歌風である。(一方)山城の国はか弱くしなやかな女性的な国であって、男性も女性風にまね習っていた。ゆえに、『古今和歌集』の歌は、もっぱら女性的な歌風である。よってかの『古今和歌集』に、六人の歌を評するに際して、穏やかで清々しい歌を格調が高いとし、強くかたい感じの歌を田舎じみているといっているのは、その国、その当時の歌風を格調高いものとして、広く古代を顧みないものである。ものには四季のようにさまざまな姿があるのに、このようにばかり(一面的に)評価するのならば、ただ春ののどかさだけを取り上げて、夏や冬を捨てて、「手弱女」のような(か弱くしなやかな)歌風によって、「丈夫」のように気のままに任せることを嫌うのに似ている。そもそも上代の各御代が、大和の国に都を治めておいでだったときは、外向きには天皇や神などの威勢をもって、内側にはおおらかな和やかさをもって、天下を服従させたので、国は増々繁栄し、国民も為政者を尊んで、自身も素直な心のままで代々続いてきたのに、山城の国にせんとなさってから、恐れ多い天皇や神などの威勢が次第に劣るようになり、国民もあれこれに従ったりおもねったりして、心がよこしまになっていったのは、何故と思っているのだろうか。その理由は、「丈夫」の道を用いず、「手弱女」の姿を評価する国風となって、その上に唐の国風が行われて、国民は上を尊敬せず、ないことをあるように悪口を言う心ができたからである。であるから、春はのどかに、夏は烈しく、秋はものの変化が早く、冬は静寂であるというようにさまざまでなければ、すべては不十分なのである。『古今和歌集』が出てからは、優美なものを和歌だというのだとなんとなく思われて、雄々しく強靭な歌を卑しいと見るのは、はなはだしき誤りである。これら四季それぞれの感じを知ろうとするなら、『万葉集』を常に見よ。かつ自分の歌もそれに似せたいと思って、年月を重ねて詠むうちに、その調べも心も心にしみ込むであろう。そのような中で、『万葉集』は選者が選択して成った巻は少なく、多くは家々の歌集そのままであるから、下手な歌や、下手な言葉もある。だから、さあいま模範として学ぼうとするなら、うまい歌を選ぶのがよい。そのうまい歌を選ぶのは難しいが、既に述べた「調べ」を念頭において選ぶがよい。また、(一首の中でも)上の句はとてもすばらしくて、下の句は下手なのもある。その場合は、上の句を学んで下の句を捨てるのがよい。これをよく学んだのは、源実朝である。その実朝の多くの歌を見て考えなさい。そうはいうものの、『古今和歌集』も見るべきである。これはおよそ女性的な歌風である中に、詠み人知らずの歌には、奈良調の歌もある。またそれを後世の言葉で唱え変えているものもある。いまの都のある平安時代に入っても、桓武、平城、嵯峨くらいの御代は、万事古代の詠みぶりが残っていて、歌も半ばは古代の歌風を兼ね備えている。よってこの『古今和歌集』には、詠み人知らずという歌にこそ優れた歌が多いのである。それより後の歌の中には、繊細に思考をこらして内容が深そうなものがあるが、それは遠ざけるがよい。(『古今和歌集』は)基本的に(選者が)選んだものであるといっても、古代に還ろうとするするときは、どうしてさらに選択しないことがあろうか(選択して学べばよいのである)。このように心得たら、『後撰和歌集』、『拾遺和歌集』、『古今和歌六帖』、古い物語書などを見よ。こうして(上代に)立ち返り、『古事記』、『日本書紀』を読み、『続日本紀』の宣命、『延喜式』の祝詞の巻などをよく見るならば、歌だけでなく、自然と古代風な文章を綴れるようになるはずである。

2010年4月21日

ユウェナリスのことば(後半)

「健全な精神は健全な肉体に宿る」をぐぐってみると、「これは誤訳である」という趣旨のヒットが多数上位に来る。ウィキペディアのユウェナリスの項にもその旨が書かれている。

さて、このことわざ(?)がもともとはどこからきたかというと、古代ローマ時代の詩人ユウェナリスという人の書いた『風刺詩集』(10番目の詩の366段)なのだそうだ。
ユウェナリスという人は、本名をデキムス・ユニウス・ユウェナリス(Decimus Junius Juvenalis, 60−130)といい(英語では通常Juvenalとして知られている)古代ローマ時代の風刺詩人であり弁護士だそうだ。当時、市民が政治に関心を持つとろくなことがないと考えたローマの権力者によって食料を与えられ、娯楽を求めて堕落したローマ市民とその社会を揶揄して 'panem et circenses' (「パンとサーカス」)と表現した人である。

「健全な精神は健全な肉体に宿る」に該当する詩の部分はラテン語で、
Orandum est ut sit mens sana in corpore sano.
であり、
それを英語訳したものは、上のリンクによれば
It is to be prayed that the mind be sound in a sound body.
である。
これをそのまま訳すと、「健やかな身体のうちに精神が健やかであることが願われるべきである。」となる。

ところで、「あのことわざは誤訳である」としているウェブサイトの多くが「ユウェナリスは、堕落したローマ市民の姿を嘆いて『肉体ばかり鍛えてもだめで、健全な肉体には健全な精神も必要なのだ』という意味で言ったのに、日本では正反対の意味にとらえられてきた」といっている(参考URL玉木正之氏ウェブTuyano Blog)のだが、これらの解釈は腑に落ちない。
というのは、『風刺詩集』第十章の一部を読んだだけでも「健全な精神は健全な肉体に宿る」という文句を「健全な肉体を得れば健全な精神が手に入る(だから頑張って体を鍛えよう)」と因果性によって解釈すること自体が論理の飛躍であることは明らかであり、その解釈の反証として誤訳を指摘しても、もとの詩の訳の誤りを正したことにはならないからである。

私はラテン語ができないので、風刺詩集第十章の英語の訳詩を読んで、なるほど、これは「体を鍛えることが心を鍛えることにつながる」というスポ根とはなんの関係もなかった(ひとつスッキリ)、ということは確信できたわけだが、このことわざのそれ以上の解釈はここで打ち止めであった。
しかし、ここで助けになったのが、花房友一という方のホームページの「「健全な精神は健全な肉体に宿る」とは言わなかったユウェナリス」の項。西洋の古典の研究者のウェブサイトで、他の項も大変に面白い。この花房氏が原書を参照し、ユウェナリス第10歌を日本語訳したものは、このことわざの部分に至るまでの文脈がよくわかってとても参考になった。

花房氏は、『風刺詩集』の第十章を訳した上で、この文句について丁寧に検証している。
Orandum est ut sit mens sana in corpore sano. 
を、原文のラテン語を英語に、語順もそのままに直訳すると、
You ought to pray that be a mind healthy in a body healthy.
となるのだそうだ。すると、「宿る」と訳されているのは、単に「~となる」という意味であることが明らかになるという。また、「前後の文脈から考えて、精神と肉体は対照的に取り上げられてはいない」ということは、この日本語訳とほかの英語訳を検索していくつか読んでみてなるほどと思った。
先ほどの氏の項では、ここからが特に興味深かったので少し引用させていただこう。

ラテン語の原文が韻律に制約される詩であることを考え合わせると、原文の単語の in には、精神の健康と身体の健康に何らかの関係があると言っているのではなく、作者が言いたかったことは単に、
You ought to pray that both mind and body be healthy
であり、この格言の真の意味は「心身ともに健康であることを祈るべきである」であるとみるのが適当であることが理解できるのではないか。

うーん、奥が深い。
でも、この詩集が「風刺」であるという性質を考えると、

「『心身ともに健康であること』。願うならこの程度にしておきなさい。これなら誰でも自分の力で達成できるし、それが手に入ったことによって不幸になることもない。しかし、けっしてそれ以上の大きな願いを抱いてはいけない。」(同氏の同じページより)

というのではちょっと優しすぎるような気もするが、どうなのだろう。

最後に、このことわざをいくつか調べても一つもみあたらなかった「健康」ないし「健全」の中身だが、ユウェナリスはその詩の続きで、

「それは死の恐怖からの自由、怒りからの自由、欲望からの自由のことである。」(同上)

と説明しているのだそうだ。スポーツは関係ないどころか、体の具合の善し悪し、人の性質の善し悪しのことですらないのであった。

ところで、「健全な精神は健全な肉体に宿る」という日本のことわざのもとになった英語は、
'A sound mind in a sound body'
だそうである。でも、これは、どうやら、ジョン・ロックがユウェナリスの詩をふまえて述べた言葉であることを付け足しておこう。

"A sound mind in a sound body, is a short, but full description of a happy state in this World: he that has these two, has little more to wish for; and he that wants either of them, will be little the better for anything else. "
-- John Locke (Some Thoughts Concerning Education, 1963, sec.1 による) 

最初の一文は、「健やかなる心は健やかな身体にある、とは、短いけれどもこの世の幸福をいいあらわすのに十分な説明である」という意味になる。(訳はspinovによる)

というわけで、「健全な精神は健全な肉体に宿る」という句は、誤訳というより、原典を無視して英語の相当部分だけ訳し、その解釈が一人歩きしたというのが事実であるようだ。

2010年4月20日

ユウェナリスのことば(前半)

昔から、そりゃおかしいんじゃないの、と思っていた言葉のひとつに、「健全な精神は健全な肉体に宿る」というのがある。
でも、このことわざは、誤訳なのだそうだ。

私は、誤訳はおろか、原文も、誰が言った言葉なのかも知らなかったが、差別的な響きであるという嫌悪感からの反発心よりも、「〈そうみえる人もいる〉だけのことで実際のところはわからない。しかもそれが人間のあるべき姿であるかのように言われることには納得いかない」と思っていた。だいたい、なにをもって「健全」というのか。人間とはそんなに単純に語れるものであるはずがない、人間について簡単に言い切れることなんか正しいはずがない、と小さいころから考えていたし、いまもその考えは少しも変わっていない。

反発を感じていた理由はもうひとつあって、この文句が、体育の先生か剣道の先生に言われたのだったか、覚えがないのだが、文脈としては、「身体を鍛えてこそ、強い心が育つのだ! ぐずぐずしてないで校庭5周、いや10周追加!!!」みたいな体育会系スローガンとして教えられたことによる。
というのは、「健全な精神」が「健全な肉体に宿」った事例が見つかったとしても、「健全な精神は健全な肉体に宿る」という一文自体は何も、精神と肉体の有り様を因果性でもって説明しているのではない。つまり、「ほほー、元気な心は元気な体あってのことなのか。じゃあ健やかな心を手に入れるには、元気な体を手に入れればよい」と考えるのは、両者の間にどんな関係性があるかについて途中の要因をすべてすっとばしているのであり、しかも「元気な身体」が「フィジカルに筋肉(マッスル)を鍛えることによって達成される」などと勝手な解釈をしてしまうとそれはもはや「風が吹けば桶屋が儲かる」*の現代解釈と同じ、ただのトンデモ理論なのであった。精神と肉体という言葉が、風と桶屋ほど突飛な間柄でもなく、体に悪いところがなければ物事を良いほうに考えられる可能性が高いということはある程度真であろうから、忍耐論が大好きな時代の日本では、なんだか説得力のありそうな「スポーツで心と体を鍛える」という、しごきにはうってつけのスローガンのように感じられてしまったのではないか。
* もとは「物事は意外なところに影響を及ぼす」ことのたとえ。

だから、こういう一部で全体を説明するような文句は、戦時中の軍国主義教育の中で強制的に押し付けられたものなのではないかと思っていたのだが、そうではなかった。




(後半へ続く)

2010年4月7日

Der Mensch ist, was er ißt.

いま使っているドイツ語のテキストブックに出てきた、Feuerbach(1804−1872)の言。訳は、「人はその食らうところのものなり」。フォイエルバッハが、自然科学的唯物論の立場を皮肉とユーモアを込めて言いあらわした言で、『関口・新ドイツ語の基礎』(p.56)によれば、ist(英語のbe動詞に相当する、seinの三人称単数形)とißt(「食べる」の意のessenの三人称単数形)とが同音であるのを利用した洒落であるとのこと。
世界の森羅万象をどう理解するかについては様々な立場があるが、フォイエルバッハのとった唯物論というのは、かんたんにいえば、「物事の本質や仕組みは物理現象である。我々の感情や意識というのは、単に脳の細胞と細胞の間に起こる電気的現象のようなものに過ぎない。」という考え方である。その立場からみれば、人間は物質そのものであるということになる。

私はフォイエルバッハに明るくないが、ここのところ人間の心のありようについて思い巡らす中で、唯物論には「救い」があるだろうかと考えたことがあった。彼の師であるヘーゲルの哲学には確かに救いは、ある。フォイエルバッハはヘーゲルから出発するものののちにヘーゲル批判に転ずるのであるが、彼の論理の出発点およびその宗教観をとらえ、唯物論とは本質的になにを説明しようとしたのかを知るには、ヘーゲルを読み直す必要がありそうだ。

今度、ヘーゲルについて少し書こう。