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2011年8月12日

お茶お茶お茶

暑い日が続いている。作り置きのお茶の減りが早い、はやい。
水筒に入れる分も必要なので、日によっては二度沸かしている。6月にちょっと奮発して買った大きめの冷茶ポットが大活躍! 緑茶かほうじ茶か麦茶、最近では万能茶という、はと麦やどくだみなど16種の草が入った健康茶をお鍋で沸かして飲んでいる。
あまりに暑くてかなわないので日中は作り置きの冷たいお茶を飲んでいるのだが、夜には温かいハーブティーか緑茶を飲むことが多い。

この街は日中は日差しが強くて肌が焦げるような暑さなのだが、夜10時を過ぎると気温も23度前後となり、窓を開けて扇風機をまわしていれば、まあまあ涼しい。勉強したり本を読んだり絵を描いたりしていると、様々な夏の虫の鳴く声などが風に乗って部屋に入ってきて、ふと肩の力が抜けて穏やかな気持ちになる。そういう時にはあまり、キンキンに冷えた麦茶を飲もうという気にはならない。好きなカップと好きなコースターを選んで温かいお茶をいれるほうが、より深く、良い時間を過ごせるような気がする。

ハーブティーは、昨年イギリスでお友達に教えていただいてすっかり好きになり、その後もいろいろな種類を楽しんでいる。どれも美味しいし、気持ちが落ち着く。元気になったのはハーブティーのおかげもあると思っている(美容効果のほどは不明)。

さて、あるピアニストのお母様から教えていただいた、ドイツのDallmayrの ’Tulsi Ingwer/ Orange’ というお茶が素晴らしい。トゥルシーというのはインドに多く生えているシソ科の植物で、ストレスを軽減する・頭痛や胃痛を和らげる等様々な効能を持っているため、何千年もの間アーユルヴェーダの治療に用いられてきたのだそうだ。また、ヒンズー教のヴィシュヌ神崇拝の儀式には欠かすことのできない神聖な薬草だという。なんだか全身の悪い部分に効き目がありそうである。その効能はさておき、このお茶にお湯を注いだときにマグカップから立ち上る香りの素晴らしさは、芸術を感じさせるほどである。美しい香りと色をみれば、多くの人のストレスの少なくとも一つは霧散するであろう。おすすめいただいた時は、なぞの薬草とショウガとオレンジという組み合わせに、「ううむ、ものは試し…」などと半信半疑だったのだけれど、実際にいれてみたら、飲む前から香りと見た目に感動し、飲んでさらにうっとりしてしまった。

それから、美容に効果があると言われるローズヒップ。これは去年気に入ったお茶の一つなのだが、体質に合うのか、飲むと身体があたたまってリラックスできる。ハイビスカス入りのものは濃厚なピンクの色が美しい。美容のためと思って飲んでいるわけではないが、美容費として家計に計上するとすれば、出費の多い方から二番目には入るであろう。それほど気に入っている。

さらに、デトックスのお茶では、Dr. Stuartのものの他に、イギリスのPukka(パッカ)というメーカーのハーブティーがとても美味しい。これは、アニスシード、フェンネルシード、カルダモンシード、コリアンダーシード、リコリス、セロリシードと、種子だけをブレンドした、ちょっとスパイシーな、でもさわやかな風味のお茶である。日本では一箱ティーバッグ20袋入りで800円以上もして、滅多に買えないのが残念。現在は「pure」という名前になっているようだ。

こうやって、暑さが和らいだ夏の夜に美味しいお茶を飲みながら作業をしているというのは、見方によっては寂しいのだろうけど、別の角度から見れば、まあ幸せなんじゃないかという気がする。少なくとも、どれほど暑かったかという記憶が全くない昨年に比べたら、苦しくても、生きている実感があるだけましだと思える。


2011年5月31日

"More About Paddington" くまのパディントンの話




最近読んだ本より。

"More About Paddington" Michel Bond

『くまのパディントン』の第2作目。
ペルーからイギリスへやってきたくまのパディントンが、居候しているブラウンさんのおうちで巻き起こすドタバタ騒ぎ、クリスマス編。
部屋の模様替えをしようとしてペンキまみれになり部屋をめちゃめちゃにしてしまっても、雪の日に雪だるま(雪グマ?)になろうとして長時間屋外にいて病気になってしまっても、ブラウンさんの奥さんとクリスマスのお買い物に行って大騒動を引き起こしても、なんだか憎めないユーモラスなくま、パディントンと、この予測のつかないくまの行動に頭をかきながらも、家族として暖かく受け入れているブラウンさん一家のお話。

パディントン・ベアは、イギリスに住んでいる間に大好きになった。イギリスではいろんなところでこのくまのぬいぐるみが売られていて、見るたびにかわいいなあと思っていたのだが、パディントンのスーツケース型の箱に入ったDVD・ボックス・セットを買ってから、すっかりファンになってしまった。原作を読むと、常にマイペースなパディントンが実は家族やお友達をとても大切にしている様子、ブラウンさんの奥さんがいつもパディントンの味方をして夫の愚痴に優しく反撃する様子、お手伝いのミセス・バードが「こまったクマさんねえ」とこぼしながらもパディントンをあたたかく見守っている様子などが、せりふのひとつひとつ、お話の隅々から伝わってくる。お話はどれもへんてこだし、可笑しいのだけど、同時になんだか感動してしまって、3日間ほど、夜中に本を読みながら飲むお茶の量が増え、カフェインのせいもあるのかなかなか寝付かれなくなり、寝床でひとり思い出し笑いをしていたのであった。





一番気に入ったのは、初めての大雪にはしゃぎすぎて病気で数日間寝込んだパディントンが、ようやく回復に向かう場面。一家はパディントンのことが心配で心配で、何度もお医者を呼んだり、夜中にそっと様子を見に行ったりしていた。

*
「パディントンは随分良くなりましたわ。起き上がって、マーマレードのサンドウィッチが食べたいと言ったんですよ!」とミセス・バードが興奮気味にブラウンさんの奥さんに報告すると、奥さんは「マーマレードと聞いてこんな嬉しい気持ちになったことなかったわ」と泣き笑いを浮かべる。するとそのとき、ブラウンさんがパディントンが緊急の時に鳴らせるようにとベッドの脇に設置したベルがけたたましく鳴る。真っ青になったミセス・バードとブラウンさん一家がパディントンの部屋に駆け込んでくる。(以下引用)


  When they entered, Paddington was lying on his back with his paws in the air, staring up at the ceiling.
  "Padington!" called Mrs. Brown, hardly daring to breathe. "Paddington, are you all right?"
  Everyone listened anxiously for the reply. "I think I've had a bit of a relapse," said Paddington, in a weak voice. " I think I'd better have two marmalade sandwiches - just to make sure."
 There was a sigh of relief from the Browns and Mrs. Bird as they exchanged glances. Even if he wasn't quite himself yet, Paddington was definitely on the road to recovery.



*
日本では、『パディントンのクリスマス』として福音館書店から出版されています。
(私の読んだのは、Houghton Mifflin Company, Boston という出版社から出ている1959年版。上の引用は91−92ページより)

http://www.harpercollins.co.uk/Titles/28951/more-about-paddington-michael-bond-9780006753438
(リンク先のウェブサイトで、冒頭部分の朗読が聴けます。お話の文章、場面も、朗読の雰囲気も、すべてがイギリスの香り。)

2011年4月14日

原発・原子力商業利用関連の図書

*このブログの趣向と合わないため一度削除した記事ですが、載せた方が良いとアドバイスをいただきましたので再度アップします。

私がこれまでの間に読んだ原発・原子力商業利用関連の図書を挙げます。
*核の利用について 
・『プルトニウムの恐怖』高木仁三郎著 岩波新書
・『狂気の核武装大国アメリカ』ヘレン・カルディコット著 岡野内正、マグリアーチ慶子訳 
・『核の冬』M. ロワン=ロビンソン著 高榎堯訳 岩波新書 
・『日本の核・アジアの核 − 日本人の核音痴を衝く』金子熊夫著 朝日新聞社 
*日本の原発 
・『原発・正力・CIA − 機密文書で読む昭和裏面史』有馬哲夫著 新潮社
・『原発の現場 − 東電福島第一原発とその周辺』朝日新聞いわき支局編 朝日ソノラマ
・『東海村臨界事故への道 − 払われなかった安全コスト』七沢潔著 岩波書店 
*チェルノブイリ原発事故関連 
・『チェルノブイリの少年たち』広瀬隆著 新潮社
・『チェルノブイリ報告』広河隆一著 岩波新書 
・『ぼくとチェルノブイリの子どもたちの5年間』菅沼昭著 ポプラ社・『チェルノブイリ(上・下)』R.P. ゲイル、T. ハウザー著 吉本晋一郎訳 岩波新書 
・『チェルノブイリの森 − 事故後20年の自然誌』メアリー・マイシオ著 中尾ゆかり訳 NHK出版

*被曝関連 
・『母と子でみる 23 ヒバクシャ − 世界の核実験と核汚染』桐生広人著(写真・文) 草の根出版会
・『被曝の世紀 − 放射線の時代に起こったこと』キャサリン・コーフィールド著 友清裕昭訳 朝日新聞社 
・『放射線医療 − CT診断から緩和ケアまで』大西正夫著 中公新書

*辞典
・『放射線用語辞典』飯田博美編 通商産業研究社(昭和53年) 


私が信頼できると信じている学者の動画も2つ、挙げておきます。この人たちの発言は、福島第一原発の状況についてニュースで報道されているよりはるかに厳しい現実を示唆していますが、あいまいな表現が少なく、事実を丁寧に説明したものです。そして、この人たちの言っていることが信頼できると思う二つ目の理由は、彼らがとても頭が良いと思うから。単に知能指数が高いという意味ではなく、自分の手で得た正確な知識を持ち、心を使って人にそれを伝えることができるという意味で頭の良い人たちだと思うということです。上に挙げた『プルトニウムの恐怖』の著者、高木仁三郎という人もそうです。決して感情的に書いているわけではないのに、この人がプルトニウムのおそろしさを心底知っていること、それを平和利用という名目で利用することのリスクを一人ひとりに考えてほしいと願っていることが、しんしんと伝わってくるのです。こういう人たちの言葉ににじみでている、人間としての優しさと勇気と専門家としての使命感が、私のような素人にも、もっとこの問題について勉強しなくてはと思わせてくれているような気がします。
Christopher Busby, the European Committee on Radiation Risks

原発問題に関して私はまったくの素人ですが、今後、少しでも多くの人がこの問題に関心を持ち、ある程度の知識を持って話し合ったり意見を交換したして、裾野を拡げていくことが必要だと考えています。また、原子力に携わってきた研究者や技術者からの、科学のあり方についての強烈なメッセージを受け取ることの意味は少なくないと思っています。まだまだたくさん読んで勉強したいと思っていますので、関連図書をご存知の方は教えてください。

2011年3月9日

梅の木にとまるうぐいすあり

暖かくなったと思ったら雪が降ったり、寒いと思って電気ヒーターをいれたら部屋の中が暑くなりすぎり、三寒四温というにはテンポがでたらめのような、なんとも先の読めない気候が続いている。それでも、3月に入ってからは、編み物がなんとなく季節外れな作業のような気がしているから、やはり春はちゃんと来ているのだろう。

今編んでいるセーター等(棒針)は、アフリカの子どもたちに手編みのセーター、マフラー、手袋、帽子、毛布などを送る活動をしているイギリスのチャリティー団体のひとつに送るつもり。手編みのものを児童施設やホームレスの人々や貧困地域の子どもに送る活動をしている団体がイギリスにいくつもあることを、最近になって知った。イギリスにいる間に編み物チャリティーを知っていたら絶対参加していたのに! ああ残念。

イギリスはチャリティー活動やボランティアがとてもさかんな国であるが、手編みを送るチャリティーへの参加も敷居が低そうである。たとえば、knit a square。20センチ四方の四角を編んで、事務局に送ると、そこで活動している婦人たちが、集まった四角をいくつも縫い合わせて大判のブランケットを作り、出来上がったブランケットをアフリカの子どもたちに届けてくれる。方形なら、セーターを編む技術がなくても、それどころか編み棒を手にしたことのない超初心者でも、最初の作り目と最後の伏せ止めを教わって、表編みができれば編める。高値で販売できそうな素晴らしい編み込みセーターを作れる人も、ガータ編みの四角が精一杯という人も、各人の技量に合わせて気負わずに参加できるところがいい。

ところで、チャリティー団体は星の数ほどあるから、自分が支援をしたい対象(私の場合は「劣悪な環境にいる子ども」)への活動、支援をしたい方法(今回の場合は「手編み」)での活動をしている団体を見つけても、そこが実際にどういう活動をしているかをよく見極めないといけない。税金対策としてチャリティーに登録して実質それらしいことは殆どしてない団体や、集めたお金の1割くらいしか実際に寄付していないような団体もけっこうあるのだ。でも、大変な熱意と信条を持って地道に活動している人も多く、そういう人々の姿勢には、深く考えさせられるものがあり、とても貴重な学ぶべきものがある。


*
2月に始めたかぎ針にも少しは慣れてきた。練習で編んだものは、台所で洗いものに使っている。アクリルたわしじゃなく、ウールの毛糸だけど、洗剤をつけなくても食器がぴかぴかになる。

というわけで、編み物はとてもいい気分転換になっている。BBCラジオを聴きながら、映画を見ながら、繊細で美しいショスタコーヴィチを聴きながら、じっと手を動かしている。

写真は兄弟に作ったかぎ針編みのコースター。身近な人に手編みのものをあげるのは気が引けるのでしたことがなかったけど、ちょっと何かしたい気になったのであった。


2011年1月27日

束摩焼(つかまやき)

湯呑みをひとつ買った。
本は例外として、持ち物はなるべく増やしたくないと思っているし、年齢とともにその傾向はますます強まっているのだけれど、それでも時々、ものを買ってしまう。

あるデパートにちょっと行ったら、最上階で市の催しをやっていた。スペースの一画には、地元の小学生がお城や有名建築物を描いた、写生会の入選作品がたくさん展示してあった。建物のある風景全体を四角の枠に捉えてきれいな色をつけてある絵がたくさんあって、入選だけあって上手だなあと感心した反面、そつがないなという印象のものも多かった。金賞を取った作品群には、他の入選作品にはない気迫や気品があって感心した。観察眼も色使いも、他のどれとも似ていない。金賞の中でも、城と空をいろいろな濃さの紫と青の点で描いた作品と、城のお堀を絵の具の色を全種類使って塗り分けたような作品がとくに印象的だった。絵を描く目的によって求められるものは異なるけれども、制約がほとんどないなかで絵を描く時には、写生した対象(実物)と形や色が同じかどうかということよりも、本人が自分の見る目と思考と感性によって「これだ」と感じるかたちをとらえ色をつければよいのではないかと、改めて思った(「つければよい」といっても、実際はその方がずっと難しい作業だ。本人の意図と技術なければただの偏屈か珍奇か出鱈目か滅茶苦茶になってしまう)。

子どもたちの絵を楽しんだ後、絵の展示の隣のスペースでやっていた物産展を少し見てたら、そこにいい焼き物があった。束摩焼というのだそうだ。この土地の空気をそのまま封じ込めたような焼き物である。墨絵のような色彩で、山々が彫ってある。私はこの土地の者ではないけれど、なんだか妙に惹かれた。手に取って一周させると、パノラマを見ているような高揚感があった。

その物産展では、その日の朝に炒ったというほうじ茶と、茗荷の味噌漬けを買った。家に帰ってきて、買ってきた焼き物でほうじ茶を飲んだ。少しほっとした。








*
写真は、束摩焼の湯呑み茶碗と、妹がアンティークショップで見つけて送ってくれたティーカップ。コースターはどちらも去年編んだもの。

2011年1月18日

戦艦ポチョムキン



1925年制作のロシア映画、『戦艦ポチョムキン』は無論、コメディ映画ではない。サイレント映画史上、最も重大なプロパガンダ・フィルムとして知られる作品である。しかし、この名作にしてこの珍名。「ポチョムキン」というなんとも可愛らしい名前と、重厚でかっこいい「戦艦」という響きのミスマッチ。プーチンがチェブラーシカのぬいぐるみを抱いているような違和感がある。たまらん。

なぜ戦艦ポチョムキンかといえば、昨日試験が終わったのである。
4月の末から約9ヶ月、夜更けのカエルの声に心を打たれ、庭の二十日大根を友だちのように感じ、燃えるような山々の紅葉に圧倒され、稲刈り機の騒音に悪態をつき、引っ越してからは何度も道に迷い、祖父母の家の白菊の可憐さに驚き、クリスマスソングは無視した。。。永かったなあ。

よく勉強に行っていたスターバックスで、試験の一日前に、バッハの二つのヴァイオリンのためのソナタの第二楽章が流れたとき、「勝った」と思った。そのメロディは本当に美しく、愛情に満ちていた。その直感通り、私はひとつ、大きな障壁を乗り越えた。これまでの人生で、私は、もともとのアホさに加えて、大変な緊張症のせいで試験や人前であたまが真っ白になり、かたまったまま時間を過ごしたということが何度もあり、そのために人生大損という面があった。でも、ひとつ前の日記に書いたような昨年の訓練の結果、今回の試験では、自分の蓄えてきた力を不足なく本番で出せたのであった。だから、不安の残るものはその通りの点が出たし、力のついたものはかなり良い点数が出た。出来はとても合理的で正直だった。なんというか、自分のしたことに納得がいくということは、こんなにも気持ちのいいものなのか。

というわけで、試験を終え、雪の降る中、本屋さんのあるスーパーに寄って、古本で小説を数冊、新書を数冊、そして戦艦ポチョムキンのDVDを買って帰ってきたのだった。ふとんでぬくぬくしながら本を読む幸せ。ポチョムキンを観たら、あとはチェロの練習がしたい。






*追記1
戦艦の本名は「ポチョムキン=タヴリーチェスキー公」という、エカテリーナ2世の愛人であったグリゴリー・アレクサンドロヴィチ・ポチョムキンに由来するそうだ。グリゴリー・アレクサンドロヴィチ・ポチョムキンは1773年に起こった「プガチョフの乱」で活躍した。プガチョフ。)


*追記2
あと、この映画にはショスタコーヴィチの交響曲第11番「1905」の第二楽章が使用されている点で、音楽史上においても極めて重要な作品であることを強調して付記しておかねばならない。





*プーチンのクマさんはこちら。いいセンス。
http://www.cafepress.co.uk/+vladimir_is_real_man_teddy_bear,300506462
http://www.cafepress.co.uk/+putin_teddy_bear,79461586


*写真は、ロシアで作られた「歴代大統領マトリョーシカ」である。10番目がプーチン。最初のは、ピヨートル大帝(1センチにも満たない大きさらしい)
http://www.rosianotomo.com/matryoshka/matryoshka3.htm

2010年12月29日

積もりつもる


最近はとても寒くてあまり外に出ていないせいもあるかもしれないけど、(もともとあほな)頭が(よりいっそう)へんになってきた。 

椅子に座っている時間が長いせいか、朝起きると、机に向かった姿勢をそのまま横に倒したような格好で寝ているのに気がつく。試験が近いので緊張しているのだろうか。 

あと、えんぴつでりんごを食べようとした時は、もうだめだと真剣に思った。

ともあれ。 



* 
今年は試練の年であった。 

心身がおかしくなり、辛くてひきこもっていた分、自分の問題点と向き合い、改善・克服につとめることに集中した一年であった。 

自分で決めたこととはいえ、この年でこんなことが許されたのは、母のおかげだと思う。 
4月から、母は毎回病院の送り迎えをしてくれた。診察よりも待つ時間のほうがずっと長いのに、いつも終わるまで待っていてくれた。家からA病院まで車で1時間くらいかかるし、夕方には自分の仕事もあるのに。車の中ではいろいろな話をした。それから、私が今まで抱えていたけど言えないでいた問題を話した時には、普段医学関係の本など読まないのに、本を買って読んでくれた。内容については私とはずいぶん理解が違ったし、本はむしろ自分の仕事に役に立ったと言っていたけど、一緒に考えてくれたことがありがたかった。また母は、最初は私が薬を飲むことをかなり嫌がり、副作用を私以上に気にして、薬は捨てて!と言っていたのだけど、秋頃になって、最近どうも寝付きが悪いから自分も○○(←私)の寝る薬飲んでみると言い出した。びっくりしたが、少し置いてきた。 
その後、朝電話をしてきて、「あー よく寝た。寝坊しちゃった。あれは効くわー!」と明るく笑ってくれたお母さん。 
電話を切ったあと、しばらく涙が止まらなかった。日本に帰って来たときあんなに喜んでくれたのに、その後心配ばかりかけてしまった。 

到底理解しがたい事情を、私の気持ちを考えて、私を信用して見守ってくれた家族と祖父母、また、話を聞いてくれた友人、病院の先生、何があったともお話ししていないのにもかかわらず心優しいお気遣いをくださった友人には、いてくれてありがとう、という思いでいっぱいです。それから、せっかく帰ってきたから遊ぼうよと声をかけてくれた長年の友人たちには無沙汰ばかりになってしまって、本当に申し訳ないです。日本に帰ったら会いたい人いっぱいいたし、やりたいこといっぱいあったのに、ほとんど実現できなくて、悔しいし悲しいし自分が情けないけど、今年は、こういうふうにしかできなかった。 


元気になったことを、ご報告したいと思う。 
ありがとうございました。 



数年ぶりの日本のお正月です。 
かるたや百人一首で遊んでいるひまはないけど、お雑煮が楽しみ。 




よいお年をお迎えください。 



2010年12月15日

流星群

双子座の流星群を見てきた。ニュースでは14日の午後8時くらいに流星活動のピークがくるというということだったが、8時では南の空に明るい上弦の月が出ていて明るすぎたので、少し待つことにした。といっても15日未明まで待てばよかったのだと思うが、楽しみにしていたので、うずうずして待ちきれずに、10時半くらいに自転車で山のほうへ向かって出かけてしまった。川沿いの歩道に自転車を止め、川岸に降りていってしばらく空を眺めていたのだが、辺りも月もかなり明るく、空が白っぽく見えた。やはりちょっと早すぎた。

こんなところで星を見ている人など誰もいないので、コンクリートのベンチに仰向けになって星を眺めてきた。雲の流れが速く、星座がどんどん南へ動いていくように見える。流れ星は強い光を帯びた大きいのも、青白く細く優雅なのも見えた。大きく弧を描いてオリオン座を横切っていったのもあった。
しばらくたって近くの運動場の明かりが消え、それからまたしばらくして月が雲に隠れて空が黒くなった。仰向けになって見ている真上の空が最も暗く、目を下に向けると徐々に明るくなってきて、川べりの木々は切り絵のようだ。自分が半球の底に寝ているような感じがする。
いろいろなことを思い出したり願ったり考えたりしながら空を見ていたが、願い事を唱える暇などあるはずもなく、あ、と思ったらもう流れ星は消えていて、見えたことだけがあとから確認される。流星は、願って現れるはずもないし、双子座の方角とは全然違う西側に飛んでいたりもした。そんなことはわかっているつもりでも、大きいのが見えると、もっと長くて大きいの見えないかなあと思ってしまう。流れ星が飛んでいてもいなくても圧倒的に超然としている星空を眺めているというのに、私ときたらまったく欲深いことだ。

じっとしているのだけは得意だから何時間でも見ていたかったのだけど、道路を挟んで谷のようになっている川からの風がなかなか強くてしかも冷たく、気温もどんどん下がってきて、1時間半くらいで震えがきてしまったので帰ってきた。もうちょっと見ていたかったな。

思った通りにはいかないね、という当たり前のことを感じてなんだか可笑しくなってしまった。

2010年9月1日

夏の天気・転機(2)

Final mov. A Prom:ギル・シャハムと音楽の世界 

ギル・シャハムは、私が最も好きな音楽家の一人である。今生きている中では間違いなく最高のヴァイオリニストだと思う。何が素晴らしいって、彼の音楽は生きる喜びに溢れているところ。それから、いま鳴っている音楽の向こうにある、繊細でドラマチックで、壮大な世界を見せてくれるところ。その世界について説明するのは難しいが、いま持っているイメージをできるだけ言葉にしてみよう。 

私たちは、部屋の中にいる。部屋には大きな窓があって、その窓は開いている。大きく開いた窓にうすい半透明の美しいカーテンがかかっている。カーテンは、陽の光で強烈な光を帯びたりモノトーンになったりする。外の風によって形を変え、揺れたり膨らんだり丸まったりする。私たちはそのカーテンの動きを少し離れたところから飽きることなく眺め、その変化を楽しんでいる。時折カーテンが風に持ち上げられて、外の景色が見える。そこには、知識としては少しは知ってはいるけれど実際に体験したことはない、太古から続く生き生きとした広大な世界が広がっている。星が生まれてどんどん膨れ上がって最後にはブラックホールに収縮し、動物たちが何億年もかけて進化を遂げていったというような途方もない年月の世界。その世界を、私たちは憧れと知的好奇心から、カーテンの動き以上にもっとよく知りたいと切望する。想像力を働かせて、大きな風を期待して、もっと向こうを見ようとする。風が十分になければ、外を見ることは叶わない。そして、カーテンを取り去ってしまったら、窓の向こうの世界は、たんに視覚的な情報として認識される景色に過ぎない。鋭い観察によって、その世界について知識として記憶し、記述することはできるが、そこに見えている以上の物は知覚されない。カーテンの向こうが見えるのは、奇跡的なことなのだ。うすいカーテンが音楽で、カーテンの向こうに垣間見えるのが、音楽を超えた世界。 

注:私はパンチラについて語っているのではない。これは、音楽についての話だ。 

実際には音楽は目に見えないし、陽の光や風のような自然の力によって起こっているのでもない。演奏家の洗練された技術と研究に基づいた解釈とパフォーマンスによってなされる人為的なものであり、演奏者を無視して音楽だけ語れるものなのか、私にはわからない。音楽はカーテンだと言っているわけではない。音楽の向こうの世界のイメージを描くために視覚的なたとえを試みている。 

この説明で、どのくらいの人にどのくらい私がイメージするものが伝わるかはわからない。でも、音楽とはそこにただ鳴っていているという価値以上にとんでもなく大きな力を持っていることを、ギル・シャハムのような演奏家から私たちは知ることができるということを書きたかった。彼がヴァイオリニストとして、彼の個性だとかかっこいいところだとかそんなものではなく(いや、彼はハンサムだし演奏中の表情を見ていても楽しいけど)、演奏を通して大きな別の世界を垣間見せてくれることに、私は深い敬意と感謝を感じる。一体どれほどの神経とエネルギーを使ってその仕事を引き受け、我々に分け与えてくれているのだろうか。演奏しながら何を見ているのだろうか。私にはわからない。でも、想像する限りでは、聴く人に何かを教えようとしているのではなく、むしろ演奏者である自分を通り越して、聴く人がそこで鳴っている音楽を超えたものを感じていることを許容してくれているような気がする。なぜそんな自我を超えたことが可能かというと、彼自身が音楽の力を深く知っているからだろう。 

数年前にロイヤル・フェスティバル・ホールで、ギル・シャハムの弾くエルガーのヴァイオリン協奏曲を聴いた時のことは、生々しく思い出せる。自分が座っていた椅子の具合、ステージまでの距離感、オケがソリストにぐいぐい引っ張られて別次元の音楽空間へ向かう躍動感、観客の集中と興奮。 

この夏、BBCプロムスには一度だけ行った。ギル・シャハムがバーバーのヴァイオリン協奏曲を弾くというので。演奏はBBC Symphony Orchestra、指揮はデイビッド・ロバートソン。 
席は上のほうだったので、姿は小さくしか見えなかったが、演奏はとても楽しかった。
バーバーのヴァイオリン協奏曲は優れた楽曲であり、層になった音の組み合わせ方にわくわくしたし、端正で美しいメロディーには涙が出た。なんというドラマチックな音楽なんだろう。舞台の上で、ありとあらゆることが起こっている気がした。世の中にはまだまだ自分の知らない、深く尊く美しい世界がある。そして、音楽を聴きながら、私は自分の人生について、自分にとって何が大切か考えることができた。答えはもうそこにあった。 

私がいいなあと感じる演奏は皆、音が綺麗とか情熱的だという以上に、その人の持つ個とその向こうにあるものが感じられるという点で共通している。私のチェロの先生、Lowri Blake(ロウリ先生)の演奏には、ギル・シャハムの宇宙の進化を感じさせるような世界観とは違って、人間の強靭さと思考の豊かさ、感情の複雑さについて考えさせられる力がある。たった数音でも、はっとすることがある。例えていえば、すごく新鮮で美味しいお寿司を口にした瞬間に、その魚が海で泳いでいるところや、魚市場の箱の中でもぴちぴち跳ねているところ、それがまな板の上で鋭利な包丁で捌かれているところなどを、自分が実際に目で見たことがなくても鮮やかにイメージし、想像の中で体験できるということがあると思う。それが、その魚が実際に辿ってきた道筋であるかということは重要ではない。目の前にある対象物から出発して大きなイマジネーションの世界を旅して帰ってくるという、一瞬にして壮大な旅ができるということが貴重だ。そういう旅をさせてくれる演奏とは、なんて懐が深いんだろうと思う。 


こういう感覚的なことは、もうあまり書きたくないと思っていた。きっと、とても曖昧で、不明瞭で、わかりにくく、非論理的で、伝わらないばかりでなく、もしかしたら人を戸惑わせたりいらいらさせたりするかもしれないから。ここに書いたことも、ほとんど意味不明な妄想に見える可能性もある。だけど、夏の終わりにプロムスに行って、ギル・シャハムの演奏を聴いて、ああ、今まで辛いこともあったけど、生きててよかったなあと思った。自分にはまだちゃんと力が残っていたんだとわかった。そして、正直に何か書きたくなった。これまで、音楽を通して壮大な世界を体験することで、私は自分の重要な部分を創ってきた。コンサートでもCDでも普段の演奏でも、良いものを聴いた時は、カーテンの向こうに見えた世界を言葉に置き換えてみるトレーニングをひとりで随分続けてきた。そのトレーニングを通して、私は人のいいところを見つけて言葉にすることができるようになったと思う。今後も、怖れることなく、自分の言葉で書き、必要な時は勇気を持って言葉で伝えていきたい。 

人生はまだまだ長いし、挫折だって辛い思いだって失敗だってこれからもするだろう。だけどあまり暗いことばかり考えないで、自分のことをもうちょっと信用してひとりでやっていけば、いつかは私にも、人を幸せにするようなことを何かかたちにできるかもしれない。 
空の星のように小さく遠い希望だが、希望を持てたことが、このひと月で最も大きな出来事だった。

夏の天気・転機

これまで実家(山)で暮らしていたが、思うところいろいろとあり、8月はイギリスで過ごした(途中フランスのチェロコースにも行った)。 

ここ数ヶ月は精神的に相当きつく、薬の力も借りてぢっと回復を信じてやってきて実際随分良くなったのだが、イギリス(とフランス)へ行く気力が本当に自分にあるのかは、出発の前日まで自分でもわからなかった。前日になって、ここまで回復できたのは私一人の力ではない、家族、友人、病院の先生など、支えてくれた人たちのおかげだから、このひと月できっと元気になって帰って来ようと腹が据わった。結果からいえば、イギリスに行って本当によかった! 昨日日本へ無事帰国した。 

もう一度イギリスへ行ってこようという選択は正しかった。基本的にはただ勉強をしていただけであるが、それでも、自分にとって大きな出来事はあった。この夏印象的だった体験を2つ書こうと思う。

その前に... ひと月間、Oさんには本当にお世話になった。部屋を貸してくださっただけでなく、散歩に連れ出して美しい夏のウィンブルドンを見せてくださったり、美味しい食事を作ってくださったり、ここではとても書ききれない。無事にイギリスに滞在できたのはOさんが本当に良くしてくださったからだ。ありがとうございました。 


1st mov. ハーブティーの効能 
(2nd mov. フランスでのチェロコース) 
(3rd mov. 前に住んでいた家に行った) 
Final mov. A Prom:ギル・シャハムと音楽の世界 
(2は前回の「チェロ日記」。3はここでは割愛) 


1st mov. ハーブティーの効能

私は寝る前にカフェインを摂っても睡眠に影響のない体質ということもあり、普段は朝も昼も夜も緑茶(中国茶含む)を飲んでいるし、ついでにいえばハーブティーなんてしゃらくさいと思っていたのでこれまで積極的に試したことはなかった。たまにルイボスティー、カモミールなど飲んでいた程度。でも、今回Oさんのお宅では様々な種類のハーブティーを頂いて、すっかり気に入ってしまった。 

まずは、美味しさ! 
ハーブティーは美味しくないというイメージがあったけど、最近のものは昔より美味しくなったのだろうか?それとも若い頃ひ○ねの喫茶店で飲んだ、煮出した毒色ペパーミントティーのトラウマからそう思い込んでいただけ? 今回飲んだものはどれも美味しかった。ある草のみを乾燥させて砕いたもの(シングル)も、いくつかの薬草をブレンドし、オイルを加えて作ってあるものも、独自の香りと味の残響がある。よく味わうためには、マグカップにティーバッグを入れてお湯を注いでから、茶葉が広がってオイルが十分拡散するまで数分間待つのが大事だそうだ。 

おおおっ美味しいと思ったのは、Dr. Stuart's というシリーズのDetoxというハーブティー。日本語のウェブには、「デトックスは、体内の老廃物の排出作用があり、血液や細胞組織の浄化に効果があります」とある。(溜まった毒を全部解毒してくれるなら何杯でも飲むよ...) 実際の効果のほどはわからないけど、これは甘みが強くて刺激が少ないので飲みやすい。タンポポの根、ゴボウの根、トウモロコシの絹毛、オオアザミ、生姜の根などちょっと奇妙なものがいろいろ入っている。普通に飲んでもかなり美味しいけど、日本で、水出しして氷を入れて飲んでみたらそれもとても美味しかった。家の人にも好評だった。 
日本でも取り寄せできます。ウェブサイトはこちら。 
http://drstuarts.shop-pro.jp/?pid=2074981 
http://drstuarts.shop-pro.jp/ 


そして、効能。 
ハーブティ(herbal tea)については様々な定義があるようだが、通常茶ノ木以外の植物(とくに消毒・殺菌、精神の安定など食用以外の効能が認められる植物)の葉、花、果実などを煎じた飲み物をさすらしい。 
スーパーマーケットのお茶コーナーに行くと、様々な種類のハーブティーが売られており、パッケージを見ると、それぞれ原材料名の記載とあわせて「安眠」「美容効果」「リフレッシュ」などその効能が書いてある。 

「リラックス」「トランキリティ」などいろいろ試したが、特に効いたという実感があったのは、Celestial(セレッシャル)というブランドのsleepytimeというハーブティー。「スリーピー」というだけあって、このお茶を寝る前に飲んだら、自然と眠くなってベッドに入ったらすぐに眠れた。ここ数ヶ月、日本では明け方まで眠れず、ぼーっとした頭で机に向かっていたことが多かったので、お茶を飲んだら眠れたのにはびっくりした。 
http://www.celestialseasonings.com/ 
「スリーピータイム」にはカモミール、スペアミント、レモングラス、ブラックベリーの葉、ローズバッドなどがブレンドされている。カモミールは不眠、不安、消化不良、食欲不振に、スペアミントは疲労、ストレス、神経性の緊張に効果があり、レモングラスには殺菌、消化促進に加えて疲れた心を回復させる、心を明るく高揚させる力があるとのこと。 
このお茶は、冷めても美味しい。何かを始めるとお茶を入れたことを忘れる人間にとってはありがたい。 
日本でも通販で取り寄せできます。セレッシャルのウェブサイトはこちら。とってもおすすめです! 
http://www.celestialjapan.com/ 

ところで、イギリスといえば紅茶のイメージがあるが、イギリス人がお茶を輸入して飲み出したのはここ350年くらいのことであり、それまではエールかサイダー(リンゴジュースで作った飲み物。通常アルコール飲料)か、ハーブを乾燥させて煮出したものを飲んでいたらしい。お茶がイギリス国民の飲み物として定着したのは1750年頃。お茶といっても紅茶ではなく、当時は粉緑茶または低級なウーロン茶だった。イギリス宮廷では、1662年にポルトガルから国王チャールズ2世に嫁いだキャサリン王妃の趣味でお茶を楽しむようになり、のちに上流階級にも広まって洗練されたイギリスの喫茶文化となった。1700年代後半になって発酵の度合いの高い紅茶(工夫紅茶)の生産が中国、インドでさかんになった。紅茶がイギリスに大量に輸入され、庶民にも普及したことは、サトウキビの輸入販売が拡大したことと密接に関係している。産業革命期には、アルコールのかわりにミルクと砂糖を入れた紅茶を飲むことが推奨されるようになった。ロンドンのコーヒー・紅茶博物館のウェブサイトには、紅茶を飲むようになって、人びとは工場での長時間労働に耐えられるようになったと書いてある。紅茶はイギリスの経済的・文化的発展において大きな役割を担っていたのだ。20世紀の初めにティーバッグが発明されて、人びとはますます手軽に紅茶を飲めるようになった。 
ハーブはというと、人類は有史以前から薬草を医療用、精神の治療用に用いており、薬草を煎じたものを薬として飲んでいた。中世ヨーロッパでは、修道院で病気の治療法の研究の一環として薬草の研究が行われていた。イギリスでは、1600年代にハーブの研究を熱心に行ったニコラス・カルペパーが、1649年、Pharmacopoeia という薬草書をラテン語から英語に翻訳して出版し、それまで医師の特権であり秘密であった薬草の知識を庶民にも広めた。現代では、ハーブの効能は広く知られており、美容、ダイエット、心身の鎮静、リラックスなど様々な目的にあわせたハーブティーが各種生産販売されている。 

ハーブティーの効能については、即効性を期待しすぎてもいけないが、ホントかねえと疑心暗鬼で飲むより、「ちょっと気分が落ち着かないからリラックスのお茶にしようかな」とか、「ローズヒップは美容に効果があるのかー。飲んだらちょっと美人になれるかも!?」と楽観的に思って(でも美容効果はむしろ願掛け)飲んだほうが良いことも、今回の発見であった。 

健康のためといって不味いものを我慢して飲んだり食べたりするのはかえって悪影響だと思うけど、美味しくて、しかもちょっと気分がほっとしたり、眠れたりするなら、ハーブティーはすごいと思う。 

(続く) 

* 

ロンドンブリッジすぐ近くのコーヒー・紅茶博物館のウェブサイトはこちら。二回行ったことがあるが、地味ながらなかなかおもしろい博物館だった。 
http://www.teaandcoffeemuseum.co.uk/ 

参考にしたウェブサイト 
http://www.ayati.com/TEA/REKISI.HTM 
http://www.panix.com/~kendra/tea/tea_to_england.html 
http://en.wikipedia.org/wiki/History_of_tea#United_Kingdom 
http://www.jp-greentea.co.jp/herb/kenko5.html 
http://www.herbpalace.com/alternative-medicine/herbal-medicine.html 
http://homepage2.nifty.com/toishi-a/culpepper1.htm

2010年8月24日

チェロ日記

昨年の夏、イギリスでダーティントン音楽祭に初めて参加し、自由に音楽を楽しむことの素晴らしさを味わった。あれから一年が経った。自分の身にいろいろなことが起こり、幸せな思いも苦しい思いも経験した一年間だった。ダーティントンの一週間は、もうずいぶん昔のことのように思える。

今年の夏は、フランスへ行き、チェロを習っている先生が主催するサマーコースに参加した。美しい南仏の村での一週間のチェロ合宿。
参加者の半分は、去年ダーティントンのL先生のクラスで会ったチェロ仲間。その全員が目覚ましく上達していて、再会の喜びはより大きいものとなった。技術的には皆まだまだ途上だが、一人ひとりが誰の真似でもない自分の音楽を出せるようになっていた。個のある音には心を動かされる。それが人に良きものをもたらすような個性であればなおさら。

L先生に習い始めて一年半が経った。チェロの技術を積極的に改善する、楽譜に書かれたことについて考え弾いてみる、そういうプロセスが少しずつ身に染み込んできたのを感じる。以下、今回学んだことを書いてみる。


・基本方針

楽譜を読んで全体の方針を定め、目的に叶った技術ができるようになるまで練習する。一つ一つの音に気を配り、ビブラート、弓の抜き方、間のとり方なども含めてどうプロジェクションするかシミュレーションする。演劇の役者になったつもりで、舞台を意識して練習する。「仮面をかぶるのよ。私は、沙都子。(by 北島マヤ)」
でも、そこまで準備したら、実際に通して演奏する時は、音楽そのものの力、弾いている空間、聴いている人たちにゆだねる。


・楽器の構え
皆で演奏している写真を見ていて気がついたのだが、私は楽器をほかの人より低い位置で構えており、結果指盤寄りでしか弾けないし、弓先に行くにつれて肩も上がってしまうような構えになっている。肩が上がらないようには気をつけなければいけないが、構え方である程度改善が望めそう。楽器を上から抱き込むように座って腕を積極的に楽器に乗せるほうがいいのかもしれない。先生のエンドピンの長さと身長を自分と比較してみると、今の私のエンドピンは少し長すぎるかもしれない。


・右手
今年の1月までは右手のことばかり言われてきたが、今回は、弓の持ち方や右手の親指が反ってしまう癖について指摘されなかった。鏡を見たりビデオを撮ったりして練習してきたのが良かったと思う。でもまだ長い時間弓を持っていると持ち方がおかしくなることがあるので、引き続き注意したい。


・小指のビブラート
今回言われ続けたのがビブラート、とくに小指のビブラート。チェロのビブラートはヴァイオリンとは違って腕からかけるのだが、小指となると左腕全体が緊張してしまう。左手の肘の角度や親指の位置などを改善する必要がある。


・弓とポジション移動の速度
弓の使い方は大きな課題となった。狙った音を最適な位置で出せるように、時には素早い弓使いが必要だが、私の弓は自分なりのテンポで動いていることが多く、その動きは大抵のろい。でも、だからといって素早く直線的に弓を動かすのではなく、常に弧の動きを意識する。急がば回れ(?)
ポジション移動も同じで、あっ、と思ったときにはもう移動が間に合わなくて慌てふためいて全身に緊張が走るというパターンが頻出。


・プロジェクション
先生からも身近な人からも指摘されたことだが、私はこれまで自分の興味あること全てのベクトルが内側に向かっていた。これには強い自覚がある。小さい頃から興味があること好きなことはいろいろあるのだが、その全ては一人でもできることであり、実際一人で楽しんだり熱心に考えたりしてきた。でもその楽しみを人にどう伝えるかについてはまったく無頓着だった。妹たちや友達と遊ぶのは楽しかったけど、そういう時間は自分ひとりの興味とは接点をもたなかった。だから、大人になっても、オーケストラやアンサンブルでチェロを弾いて全くの他人と一緒に何か作ることは面白いと感じるが、一人でひとつの音にこだわって何時間も弾いている喜びを演奏という形に昇華して人に伝え、人と楽しみを共有する可能性があるとは思っていなかった。すべては独り言のような演奏だったのだろう。
それが、この一年くらいの間に変わってきた。音楽について(いや、その他のことも)相談したり、話し合ったりする中で、自分の意見を言いたいと思うようになった。たとえ変に思われても失敗してもやってみようと思うようになった。小さいときみたいに理不尽に先生に叱られることもないし。先生が、「思うように安心してやってみなさい、そのための技術は私に任せて。」という絶対的な許容を与えてくれたことで、チェロを弾くことが本当に楽しくなった。私を穴ぐらから世界に引っ張り出してくれた。人はほめられて認められて伸びるという、書いてしまうとシンプルなことを実現できる先生は偉大だ。
フランスに行く前になって、自分の演奏を聴いてほしい、この曲をできるだけ自分の理想に近い形で伝えたいと思うようになった。閉じこもらないで、勇気を出して自分がやってきたことを見てもらおうと思った。レッスンでは、演奏をするときには役者になったつもりでプロジェクションをしなさい、と今までより一段階進んだ指導を得られた。金曜日に内輪の発表会で弾いたときには、今までの中では一番良く弾けたと思う。そして、自分の中に閉じこもらずに気持ちを外に向けて弾いたことは、聴いてくれた人にちゃんと伝えられたみたいだった。この半年は本当に元気をなくして希望を失っていたから、小さな一歩を達成できたことに涙が出そうになった。また、参加していた人たちからの温かい言葉には本当に救われた。


先生から頂いたメイルを少しだけ引用して、これからの励みにしたい。


When you performed with piano on Friday, you were a different player indeed, with a sound and poise that allowed you to be your true self.


I feel that you will find that way in time, and you have a lot of inner strength. 



もっともっと上手くなって、また会うときにはもっといい音楽を聴いてもらいたい。そして、上達を喜びあいたいと思う。





2010年6月28日

日々訥々

今後の先行きを考えると動悸がする日々である。 一日のうち、机に向かっている以外は、チェロの練習をして、家事を少ししている。
そういう生活を始めて二ヶ月近くが経った。

なわとびはすっかり止めてしまって、もう最近では、腰が痛くなると床に寝そべって勉強の本を開いている。ずいぶん行儀が悪くなったものだ。今は、ベッドを背もたれに、床に座ってこの日記を書いている。運動不足でハラニクが気になりつつある。
階下で妹がベートーヴェンのピアノソナタ『悲愴』の第2楽章を弾いている。離れた部屋から聞こえてくる明るくて若々しい悲愴は、どこか哀しい。そういう性質の音楽だからなのか、妹に何か悲しいことでもあったのか、私の心持ちの問題なのかは、わからない。

ところで、このベートーヴェンのピアノソナタ第8番ハ短調 op. 13の『悲愴』の第2楽章に私が題名を付けるなら、「内省」としたい。この音楽には、素直に自分の声に耳を傾け、いままでの人生を、自分にがっかりするのではなくこれからに繋がる何かを学ぶためにまっすぐに振り返らせてくれる力があるような気がする。
(ナクソスで18種類聴いてみたが、ブレンデルの鐘の音のような演奏が印象に残った。)
夜はたいして眠れないので、じっと机に向かって勉強を続けているが、時々どうしようもなくやりきれない気持ちになってくる。頭の中でいやな、悲しい想像が巡る。そういうときは、諦めてベッドに入って続きをしながら深呼吸をするか、外の蛙の声を聴く。蛙は夜鳴く。家の外には数種類の蛙がいて、それぞれ違う声で鳴いていることなど、夜起きていなければ知ることはなかっただろう。

朝には日が昇り、世界は明るんでくる。
雨が降っていても、世界は明るくなる。








1週間前に始めた問題集が一冊終わった。記念に日記を書くことにした。少し嬉しい気持ち。